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特別展

春の特別展 「端午の節句飾り」

会期
2007年4月21日(土) 2007年6月12日(火)
会場
6号館
展示風景2007

端午の節句行事は、平安時代に中国から伝わり、時代を経るにつれ、日本人の季節に対する観念や信仰などを取り込んで発展していきました。そのはじめは、春と夏の節目に邪気を払い、心身の健康を獲得するための行事だったようです。古くから菖蒲や蓬(よもぎ)などが盛んに飾られましたが、これらは香の強い植物に邪気を退ける力があると信じられたためです。

武家の興隆した中世に入ると、「菖蒲」が「尚武」の語音と通じることから、男児の祝儀と結びついた展開をみせます。さらに端午の節句の祝い事が庶民層まで広がりを見せるのは江戸時代のこと。江戸時代前期は、菖蒲兜(しょうぶかぶと)、毛槍(けやり)、長刀(なぎなた)などの武具や幟(のぼり)を家の門口に勇ましく立てる屋外飾りが主流でしたが、中期以降、槍、長刀、武者人形などのつくり物を座敷に飾る室内飾りが加わります。後期に入ると、節句飾りは屋外も室内も大型化し、都市部の富裕階級は、豪華な飾り付けによって、家の権勢を競い合いました。今日に伝わる節句飾りは、江戸時代のものに比べて小型になっていますが、それでも、その様式化された飾り物の中に、古い時代の華やかな屋外飾りの要素を伺うことも出来ます。

本展では、明治・大正・昭和の各時代に、都市部で人気のあった武者人形や甲冑飾りを展示し、時代の特徴を探ります。あわせて、江戸末期から明治・大正時代を経て、昭和初期にいたるまで、地方の町や村で歓迎された土製や張子製の金太郎や武者人形、虎などの飾りものを展示し、地方色が豊かだった時代の端午の節句飾りについてご紹介します。

  

甲冑飾りの移り変わり

甲冑飾り(幕末~明治時代)

端午の節句が男児の祝儀と結びつき、武家の将来を祝福する行事として展開するのは、武家が興隆した中世のことですが、武家の誉れの象徴として登場した鎧や兜の甲冑飾りが登場するのは、江戸時代中期以降のことです。始まった頃の飾り兜は、支柱にかぶせて置かれていましたが、江戸時代末期になると、三味線胴型に膨らんだ鎧櫃(よろいびつ)に甲冑が飾られるようになります。
江戸時代の甲冑飾りは、武者人形の添え物的な位置を占めるものも多かったのですが、大正時代以降、次第に節句飾りの主役として今日に至っています。
このコーナーでは、江戸時代末期から昭和30年代までの甲冑飾りの移り飾りをご紹介します。

武者人形の移り変わり

武者人形・神功皇后と武内宿禰(明治中期)

武者人形は、端午の節句に飾られる鎧(よろい)や兜(かぶと)をつけた武者姿の人形を言いますが、江戸時代の中期頃に始まり、明治・大正時代頃までは屋内飾りの中心的な存在でした。和漢の歴史物語や芝居に登場する勇ましい英雄を人形化したもので、神功皇后(じんぐうこうごう)と武内宿禰(たけうちのすくね)、太閤秀吉と加藤清正、源義経と弁慶などが代表的です。一時は等身大に及ぶ大型の人形も登場しましたが、昭和以降は甲冑飾りに押されて、しだいに作られなくなりました。

このコーナーでは、幕末から明治・大正・昭和時代に、京阪神の都市部で飾られた衣装の武者人形の移り変わりをご紹介します。

端午の節句の郷土人形●  

郷土の武者人形 展示風景

江戸時代の終わり、庶民階級が経済力を持ち、農村部にも商品経済が広がっていく頃になると、土や紙など身近にある材料を使って、専門的に、また農閑期などを利用して季節的に素朴な人形が作られるようになります。これらは郷土といわれる範囲で流通したものが多く、今日、郷土人形の名で知られています。端午の節句が近づくと、地方の村々では、都市部で流行している武者人形を真似た土人形が数多く焼かれ、家々の座敷を華やかに彩りました。
このコーナーでは、地方の町々や農村部などで飾られていた土製の金太郎や武者の郷土人形や張子の虎を集め、地方色豊かな節句飾りの世界をご紹介します。

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