「端午の節句~明治・大正・昭和の武者飾り~」 | 日本玩具博物館

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特別展

「端午の節句~明治・大正・昭和の武者飾り~」

会期
2013年4月20日(土) 2013年6月11日(火)
会場
6号館
武者人形座敷飾り 神功皇后と武内宿禰

5月5日、日本では、男児のすこやかな成長を願って「端午(たんご)の節句」が祝われます。
もともと、「端午の節句」は中国から伝わった季節の行事で、健康を崩しやすくなる春と夏の節目に当たって、邪気を払い、心身の健康を保つためのものでした。平安時代(8~11世紀)の頃、貴族社会に定着した端午の節句は、時代を経るにつれ、日本人の季節に対する観念や信仰などを取り込み、日本独自の発展を遂げました。

端午の節句は「菖蒲(しょうぶ)の節句」と言われるとおり、古くから菖蒲や蓬(よもぎ)が盛んに飾られましたが、これは香の強い植物に魔除けの力があると信じられたためです。また端午の頃は、農耕民族にとっては田植えを行う重要な季節。「鯉のぼり」などの大きな旗や幟(のぼり)には、田に実りをもたらす農耕神を迎える招ぎ代(おぎしろ)としての意味を見ることができます。

武士が台頭した鎌倉時代(12~14世紀)に入ると、菖蒲(しょうぶ)が「尚武(しょうぶ=武を尊ぶの意)」の語音と通じることから、この節句が男児の祝儀と結びつき、武家の将来を祝福する行事へと展開します。それが、江戸時代(17~19世紀)に入ると、武家ではない町家の人々も、男児の幸福を願って、家の門口には勇ましく毛槍、長刀などの武具や幟を立て、室内には武者人形や小さな甲冑などを飾り祝うようになるのです。都市部の富裕階級は、豪華な飾り付けで家の権勢を競い合いました。

本展では、そのような近世の伝統を受け継ぐ節句飾りを、江戸末から明治・大正・昭和…と時代を追ってご紹介します。明治・大正時代、京阪地方においては、江戸時代の流れを受け継ぎ、大将と従者の武者人形が主人公で、甲冑飾りはむしろ脇役だったのが、戦後になると、甲冑飾りの方が主、武者人形は小型化して、座敷飾りの下部に飾られるようになります。今ではあまり見かけることのなくなった明治・大正時代の大型武者人形は本展の見どころです。

展示総数…………約30組

 

武者人形

 武者人形は、端午の節句に飾られる鎧(よろい)や兜(かぶと)をつけた武者姿の人形を言いますが、江戸時代中期頃に始まり、明治・大正の頃までは屋内飾りの中心的な存在でした。和漢の歴史物語や芝居に登場する勇ましい英雄を人形化したもので、神功皇后と武内宿禰、秀吉と清正、義経と弁慶などが代表的です。一時は等身大に及ぶ大型の人形も登場しましたが、昭和以降は甲冑飾りに押されて、しだいに作られなくなりました。

 本展では、明治・大正時代に都市部で飾られた大型の武者人形をずらりとご紹介します。

武者人形座敷飾り 太閤秀吉と加藤清正 家来たち

甲冑飾りのいろいろ

 端午の節句が男児の祝儀に結びつき、武家の将来を祝福する行事として展開するのは、武家が興隆した中世のことといわれています。武士の誉れの象徴として登場した鎧や兜の甲冑飾りが登場するのは江戸時代中期以降のこと。始まった頃の飾り兜は、支柱にかぶせて置かれていたのが、明治時代になると、胴が膨らんだ鎧櫃(よろいびつ)に甲冑が飾られるようになります。江戸時代の甲冑飾りは、武者人形の添え物的な位置を占めていましたが、昭和時代以降、次第に節句飾りの主流として今日に至っています。

甲冑飾り(幕末~明治時代)

 本展では、江戸(関東)と京阪(関西)で飾られた江戸末期から明治・大正時代にかけての甲冑飾りをご紹介します。

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