日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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特別展

春の特別展 「雛まつり~御殿飾りの世界~」

会期
2013年2月2日(土) 2013年4月16日(火)
会場
6号館
本年度の雛まつりのチラシ(表)

現在、私達は、五段あるいは七段に毛氈を敷き、屏風を立て廻して飾りつけるものが昔からのただ一つの雛の伝統だと思いがちですが、昭和初期頃までは関東と関西の違いのみならず、城下町や地方都市、農村部など、土地によって様々に異なる雛の世界がありました。

春の恒例となった雛人形展は、500組をこえる日本玩具博物館の雛人形コレクションの中から、様々な時代や地域の雛人形を取り出して展示し、雛飾りの多様な世界を紹介する試みです。今春は、江戸時代や明治時代に都市部で飾られた豪華な町雛を展示する他、主に、京阪を中心とする西日本地域で愛された「御殿飾り雛」を、時代を追って一堂にご紹介します。

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『源氏十二ヶ月之内弥生』 三代歌川豊国画

 

雛飾りに人形や諸道具を飾るための雛段が見られるようになったのは江戸時代のこと。初期の頃は、毛氈などの上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛祭りが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、諸道具の類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場してきます。

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るもので、御殿を京の御所に見立てたところからか、桜・橘の二樹も登場してきます。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、昭和30年代中頃には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していきました。

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本展では、江戸末、明治、大正、昭和の代表的な御殿飾り雛によって、時代時代の人々の憧れや美意識、生活感などについてもさぐってみたいと思います。展示総数約50組の華やかな展覧会です。

展示総数  約50組

江戸後期から明治・大正時代の雛人形

立ち雛、享保雛、古今雛など、江戸時代に現れた雛人形の様式の色々をご紹介します。

人形は、年齢によって眉や鉄漿(おはぐろ)、結髪の形などをきちんと区別して作られています。今日のように、価格によって製品が画一化し、人形と道具が一式揃えで頒布されるようになるのは大正時代になってからです。それまでは、人形師や道具屋から気に入った品を買い集め、家ごとに個性的な飾りを行っていました。例えば、祖母の代の雛飾りに嫁いできた嫁の雛を合わせ、やがて女児が誕生すると流行りの雛道具や添え人形を買い足したりして、製作年代の異なる人形や道具が同じ雛段に飾られていました。

明治時代の雛人形は比較的大型で豪壮な印象があり、御殿飾りにも家の権勢を誇示するような、堂々とした構えの作品が目立ちます。それが大正時代に入ると一転。百貨店が制作した小型の段飾り雛や御殿飾り雛の一式揃えが都市部で流行し始めます。剛健で優美な明治と繊細で軽快な大正、各時代の雛人形を比べながらご観覧下さい。

京阪型古今雛(江戸末期)
京雛段飾り(明治時代)

御殿飾り雛の移り変わり

 京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたものと思われますが、華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りといえます。御殿の屋根をとりはらって人形たちの表情を見やすくしたものを「源氏枠り」と呼んでいます。ここでは、こうした御殿の飾りを、時代を追って展示します。

江戸時代後期の御殿飾り雛

江戸時代後期、天保年間頃に喜田川守貞が著した『守貞漫稿』には、京阪と江戸の雛飾りの違いが記されています。

「……京阪の雛遊びは、二段のほどの段に緋毛氈をかけ、上段には幅一尺五寸六寸、高さもほぼ同じ位の屋根のない御殿の形を据え、殿中には夫婦一対の小雛を置き、階下の左右に随身と桜橘の二樹を並べて飾るのが普通である。……江戸では段を七、八段にして上段に夫婦雛を置く。しかし御殿の形は用いず、雛屏風を立廻して一対の雛を飾り、段には官女、五人囃子を置く……」 

江戸後期の頃、江戸の段飾りに対して、京阪では御殿飾りが一般的であったことがわかります。
ここでは、幕末から明治時代にかけての一文雛の御殿飾りをご紹介します。「一文雛」は簡素で安価な小雛をさし、京都周辺の地域で作られたといわれています。

一文雛の御殿飾り(幕末~明治期)

明治時代の御殿飾り雛

江戸時代から明治時代にかけての御殿飾りには、館の奥に「内裏雛」を置き、内裏雛の傍にお仕えする「三人官女」、館の警護にあたる「随身」、庭の清掃や煮炊の仕事をする「仕丁」らが添え飾られました。御殿の中に飾ると、それぞれの人形たちの役割がよくわかります。一方、江戸町出身の「五人囃子」は、御殿の中にはまだ登場していません。五人囃子が演奏しているのは“能楽”。能楽は江戸幕府の式楽(公儀の儀式にもちいられる音楽)でしたから、貴族文化を受け継ぐ京都では、御殿の中にはふさわしくないと考えられたためでしょう。

時代が下るにつれ、町家で飾られる御殿は大型化し、また、国体意識の高まりとともに、京都御所に見まがう御殿も作られました。

明治末期から大正時代の御殿飾り雛

明治中期になると、大型化した御殿が段飾りの上段に置かれ、段には、身近な勝手道具などとともに、江戸町出身の大名道具を模した豪華な蒔絵の諸道具もずらりと並べ飾れるようになります。

さらに時代が下って明治末期から大正時代に入ると、それまで御殿の中にはあまり見られなかった「五人囃子」も登場し、京阪地方の御殿飾りはいっそう賑やかになりました。

檜皮葺き御殿飾り雛(丸平製/大正時代)

ここに展示する御殿飾り雛は、この頃の秀作で、御殿や雛人形、諸道具を収める木箱には、京都の人形司・大木平蔵(丸平)の商標が貼られています。分業体制をとる京都のこと、数多くの職人たちの技術の粋を集められた作品であり、大木平蔵(丸平)が調製するものは、当時から最高級品として定評がありました。

御殿飾り雛(昭和初期)

大正末から昭和初期の御殿飾り雛

明治末期には、関西地方の大都市にも百貨店が誕生し、大正時代に入ると、百貨店で販売される様式化された雛飾りが裕福な町家層に歓迎されました。“三越”や“高島屋”などで整えられた「五段飾り」「七段飾り」、そして「御殿飾り」が都市部に普及します。大型の雛飾りに加え、人口が集中する都会の町家むけにコンパクトなサイズの雛飾り一式も多く販売されました。

祖母の雛飾りに母親の雛人形を加え、またその家に女児が誕生すると、そこに新たな人形や諸道具を足し飾る……そのように、それまでの雛飾りは“家”のもちものである要素も強かったのですが、この頃になると、誕生した女児のもちものとして一式売りの雛飾りを祝い贈る家庭も多くなりました。ここに展示する御殿飾り雛は、百貨店で購入されたもの。同じ御殿、同じ人形、同じ道具を揃えた雛飾り一式を、当館では数組所蔵しています。

昭和10年代(戦中)の御殿飾り雛

第二次世界大戦、太平洋戦争が激化し、生活の諸相がきりつめられていく昭和10年代は、政府の材料統制を受け、満足な人形作りがままならない時代でしたが、子どもの成長を祝う節句飾りは、ぎりぎりまで作り続けられました。御殿飾り雛は、昭和初期までのものに比べると質素な雰囲気のものが多く、それがかえって、鄙びた風情をかもしていたりもするでしょうか。

京都とその周辺において製作されていた御殿飾りは、昭和10年代に入ると、名古屋や静岡などの東海地方においても量産されるようになり、製作地の違いは、当然のことながら、雛飾りに新風をもたらします。“金の鯱鉾”に“昇り龍”、賑やかな破風・・・、京阪で作られる御殿飾りとは、美意識の異なりが感じられます。

戦後、生活が豊かになるにつれ、西日本各地で大歓迎を受けた御殿飾りは、まさに東海地方で生まれた“竜宮城”御殿でした。

昭和中期の御殿飾り雛

戦中戦後の物資不足と社会の混乱によって、雛人形製作は一時中断するものの、復興が果たされる頃には、関西から西日本一帯にかけてきらびやかな御殿飾りが流行し始めます。明治・大正時代の豪華さとは質が異なり、金具で派手に装飾された賑やかな御殿には、暮らしの豊かさへの庶民の夢が込められているようです。これらの多くは、静岡や名古屋など、中部東海地方で製作されたもので、時には讃岐地方製の御殿飾り雛も見られます。

戦後、西日本に大普及した静岡製御殿飾り(昭和30年頃)

このように発展をとげた御殿飾り雛も、高度経済成長時代が始まる昭和30年代後半には、ぱったりと姿を消してしまいます。雛人形は急速に地方色を失って画一化し、昭和40年代になると、関東出身の段飾り雛が全国津々浦々に普及していきます。

雛道具のいろいろ

江戸時代、雛飾りが始まった頃の飾り方は、毛氈の上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的なもので、調度類も少なく、菱餅や白酒を供える程度のものでした。時代が下り、雛まつりが盛んになるにつれて、大名家や上流階級の婚礼調度を模した雛道具が一般家庭でも飾られるようになります。箪笥、長持、挟箱、化粧道具、貝桶、乗り物、火鉢、本箱、文机……等、雛人形の生活道具が揃えられていきます。

台所を目の当たりにするような勝手道具やカマドなどが雛飾りに盛んに登場するのは、幕末から明治時代にかけてのこと。黒漆塗金蒔絵の雛道具とは違い、これらは女児たちがさわって遊べるままごと道具であり、また遊びを通して家事や作法を学べる家庭教育の道具でもあったでしょう。関東ではこうした雛道具はほとんど見られず、関西風の雛道具といえます。

雛と勝手道具(明治末~大正期)
本年度の雛まつりのチラシ(裏面)


<会期中の催事>
解説会
  日時=2月17日(日)・3月3日(日)・10日(日)・31日(日) ※各回 14:00~
ワークショップ 「貝合わせ」を作って遊ぼう!
  日時=2月24日(日) 13:30~15:00


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