「嵯峨の人形硯」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

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2026年7月

「嵯峨の人形硯」

  • 昭和前期
  • 京都府京都市右京区/硯石

硯は、水を加えて墨を磨るために使う文房具で、古来、石や瓦、陶器などが使われてきました。京都市右京区の愛宕山周辺は、古くから硯石の採集地で、嵯峨天皇の御代、空海(弘法大師)が愛宕山の霊石をもって硯を作ったのが始まりともいわれています。「清滝石」「嵯峨石」と呼ばれ、室町時代には、すでにこの地域の原石を加工して硯師たちが活躍していました。
「嵯峨の人形硯」は、その硯石の破片を利用して、天神や小野道風、姫君、猿の三番叟などをかたどった小型の硯で、石の形によって大小様々なものが作られていました。墨を磨る平らな部分“陸”と磨った墨汁を溜める“海”がなだらかに削られ、その周囲は華やかに彩色されています。昭和初期ころまでは、愛宕神社や嵐山の法輪寺の参詣土産として、また愛宕山詣での宿場として開けた清滝あたりの茶店などでも売られ、子どもの玩具ともなり、実用にも供されていたようです。画像の「姫」は縦12.6㎝×横幅5.3㎝、衣装に梅鉢紋のついた「天神」は縦10.8㎝×横幅6.5㎝。携帯にも手頃なサイズであったと思われます。

嵯峨の人形硯(あるいは愛宕の人形硯)——天神と姫をかたどったもの(昭和初期製)

明治39(1906)年刊行の『うなゐの友』三篇(清水晴風著)には、「京都愛宕硯 また嵯峨すずりとも云」として、平安時代の能書家“書の三蹟”のひとりである小野道風と菅笠をつけた女性(常盤御前か?)をかたどった硯二点が「摂州有馬の産 人形筆」と合わせて描かれています。

明治39(1906)年刊行の『うなゐの友』三篇(清水晴風著)に描かれた嵯峨の人形硯と有馬の人形筆 ※画像の書は復刻版

ところで七月は「文月」。七夕の月であることがその名の由来であるともいわれます。古来、七夕の祈りの中心は「織物や裁縫の上達」でしたが、貴族社会においては、そこに書や和歌、管弦など、学芸一般の熟達への願いが加わりました。江戸時代中期から後期、“読み書きそろばん”を三本柱にすえた寺子屋教育のなかで、七夕は子どもたちに「書の上達」を願わせる恰好の節句と位置付けられ、文机や文房具を丁寧に洗い清め、朝露で磨った墨で書をしたためることが大切な行事となっていきました。はじめは梶の葉に文字を記し、和紙生産の全国への広がりとともに幕末には都市部の庶民層も和紙の短冊を用いるようになったと考えられています。―――かわいらしい人形硯は、このような七夕の節句にもぴったりの品と想われますが、戦後は作られることなく、今に至っています。

嵯峨の人形硯(京都府)・有馬の人形筆(兵庫県)・奈良の人形墨(奈良県)

上の画像は、嵯峨の人形硯に、兵庫県「有馬の人形筆」(絹糸を巻いて美しい模様を作った筆で、文字を書くと筆の尻から人形が飛び出すからくり細工が特徴)と奈良県の「人形墨」(菜種や胡麻、桐の油を燃やしてつくる油煙墨を人形に仕立てたもの)を合わせたものです。戦前は、“書道にちなむ三珍玩”と呼ばれ、好事家に人気がありました。

(学芸員・尾崎織女)