「伏見人形の一文牛」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

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2009年1月

「伏見人形の一文牛」

  • 明治時代
  • 京都府京都市/土

 今年の干支の丑(牛)は、農耕に欠かせない動物として古くから大切に扱われ、牛の玩具も各地で作られてきました。また牛は草を食べることから、疱瘡にかかったときに出来るカサブタ(瘡=くさ)を牛が食べ、早く病が治るようにとの願いを込めて、各地で牛の郷土玩具が作られました。

 現在、1号館で開催中の「諸国牛の玩具めぐり」では、日本各地の郷土玩具の牛を約200点展示していますが、疱瘡除けとして作られた各地の牛も幾つか展示されています。この一文牛もそのひとつで、京都の伏見で江戸時代から作られてきました。

 全長9cmほどの朱泥色の小さな牛ですが、背面には○に十の字が描かれ、腹部には小さな穴が開いています。昔はこの穴に米粒を詰めて川に流すと疱瘡(天然痘)除けの呪いになると信じられました。今ではこのような俗信を信じる人もなく、一文牛は現在も作られていますが腹部に穴はなく、昔の人々の信仰を知る貴重な資料といえるでしょう。 

 この一文牛は、神戸市の小児科医であった尾崎清次氏(1893~1973)が収集された資料です。縁あって当館に寄贈されたものですが、12年ぶりの公開です。