今月のおもちゃ
Toys of this month熊本県の郷土玩具「木の葉猿」
■先日、当館の友人で、プラハ日本人学校の教員として赴任中の三浦一郎先生が、休暇中に訪問されたアテネのケラメイコス考古学博物館(Archaeological Museum of Kerameikos)に展示されている古代のおもちゃの画像を見せてくださいました。ケラメイコスは、ギリシャのアテネ、アクロポリスの北西に位置し、古代から陶工が多く居住した陶芸の町だったそうです。ケラメイコスの古代墓地に付属する考古学博物館は1937年設立。紀元前千数百年にさかのぼる貴重な出土品などを所蔵しています。
■三浦先生に見せていただいたいくつかの画像は、世界各地に伝承される民芸玩具につながる造形感覚と近代玩具にも共通するデザイン性にあふれ、じっと眺めていると、これらを作りあげた2500~3000年近く前の人々の手の温かさと技術の確かさが伝わってきます。とくに目を引かれたのは、紀元前500~475年ころの作とされる素焼き彩色の「仔猿を抱く母猿」。———これは、日本の郷土玩具のなかで原始的かつモダンな姿で独特の魅力を放つ熊本県の郷土玩具「木の葉猿」によく似ています。
■現在も、熊本県玉名郡玉東町で永田家が作り伝えている木の葉猿は、伝承による起源が郷土玩具のなかでは一等古く、奈良時代、養老年間(717-724)にさかのぼります。この地に落ちてきた都人は夢枕に立った翁のお告げを受け、木葉山の赤土で成形した祭器を捧げて奈良の春日大明神を祀りました。残りの赤土を投げ捨てたところ、赤土が猿に化身して消えていきました。さらに鼻が高く、面が赤く、身の丈が3メートルもある魁偉なるものが、この赤土で猿を作れば幸運が訪れると告げ、この言葉に従って手びねりの猿が誕生した・・・と伝わります。古来、疫病除けや子孫繁栄の守りとして広く親しまれ、江戸時代には地元ばかりか、参勤交代による人々の往来によって、木葉猿は江戸でも知られていたようです。
■木葉猿には、「見ざる聞かざる言わざる」の三猿、馬乗り猿、飯喰猿、そして仔抱き猿など、いくつものバリエーションがあります。高温の窯で焼成したあと、煙でいぶして奥深い土色に仕上げたものも多く、白、赤と群青の三色で模様付けは、樹木の隙間からチラチラと漏れる光を表現したようにも見えます。
■ケラメイコス考古学博物館の古代の手びねり玩具と木葉猿を並べてみると人間の手から生み出される造形物の時空を超える普遍的な創造性が感じられ、不思議な喜びに満たされます。
(学芸員・尾崎織女)