「紙鯉」と端午の「掛け軸飾り」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

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2019年5月

「紙鯉」と端午の「掛け軸飾り」

  • 明治中期~明治後期/明治末~大正
  • 日本/紙

🎏2002年に当館が寄贈を受けた紙鯉は、全長3m20cmと大きなものです。明治中期から後期に作られたもので、和紙に力強く描かれた鯉は全て手書きです。眼の中でも黒い瞳の部分のみ、きらりと光っているのは、おそらく膠(にかわ)の効果だと思われます。

🎏 鯉のぼりが端午の節句飾りに登場したのは江戸時代後期で、当初は小さいものだったようです。『日本人形史』(昭和17年)で紹介されている、延享年間(1744~1748)に詠まれた五月幟の句に添えられた絵には、塀を超える大きな武者幟の先に付けられた小さな鯉が見られます。また、天保10(1841)年頃の歌川国芳の「雅遊五節句之内 端午」の浮世絵には、菖蒲打ちに興じる子どもの中に、小さな鯉のぼり持ち、勝負を盛り上げる子の姿が描かれています。子どもの手に持てるほどの鯉がどんどんと大きくなり、安政年間(1855~1860)、歌川広重が描いた「水道橋駿河台」の一匹(旒)の真鯉は、誇張が神田上水をまたぐほどの大きさです。鯉のモチーフが好まれ、大きくなった背景のひとつは、当時人気だった「黄河の上流、龍門の急流を越えた鯉が龍になり空に昇る」という龍門伝説にあやかってのこと。大空になびく鯉のぼりに立身出世の願いを託したのでしょう。

🎏 明治20年代以降、緋鯉や吹き流しも登場し、二匹三匹を一緒に揚げたりと自由な様式での鯉のぼりが楽しまれ始めますが、大正時代までは大きな真鯉一匹という様式も人気だったようです。当館所蔵の大正時代の端午の節句の掛け軸には、下段に端午の座敷飾り、中央に太閤秀吉と従者の加藤清正、上段には富士山を背景に尾を跳ね上げた黒い真鯉がたなびく様子が描かれています。

明治期の紙鯉、鯉のぼりが描かれた大正時代の掛け軸は6号館で開催中の「端午の節句飾り」でご紹介しています。