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blog雛のつき、弥生に
◆◆ソメイヨシノがあちらこちらで開花をはじめ、季節は春爛漫へと向かっていきます。日本玩具博物館では、弥生三月とあって、6号館の雛人形展会場は、二世代、三世代、四世代…と家族揃って雛まつりを楽しまれる方々の笑い声で華やいでいます。
◆◆先日は、米寿を迎えるお母さんが「日本玩具博物館の雛まつりに行きたい」とおっしゃったそうで、三人の娘さんたちがお母さんの手を引きながらご来館下さり、展示解説会の一部始終を他の来館者とともに楽しんでいかれました。“米寿のお祝い”が母娘揃っての雛人形展訪問とは!―――「念願がかないました。楽しかった…」とにっこり笑う米寿のご婦人。私たちにとっては、博物館冥利につきる嬉しい笑顔でした。
◆◆さて昨年、<ブログ「学芸室から」2018年2月21日>に、館が寄贈を受けた木彫彩色の雛人形のことを書きました。―――その雛人形(山田国廣彫刻・松原米山彩色)は、寄贈者の亡き母君が大事になさっておられた一刀彫の段飾りで、大正末から昭和初期にかけての作品。児童文学作家、石井桃子さんの名作『三月ひなのつき』のなか、主人公のお母さんの思い出として語られる”寧楽びな”にそっくりです。この物語に登場する雛人形は今も実在するのだろうか―――と。
◆◆そうしたところ、その「学芸室から」の便りを読まれた東京子ども図書館「石井桃子記念かつら文庫」のご担当者S女史からご連絡を頂戴し、『三月ひなのつき』に語られる“寧楽びな” (山田国廣彫刻・松原米山彩色)が実在し、文庫では毎年、三月ひなの月になると、大切に展示しておられることやその雛飾りが石井桃子さんとお付き合いのあった小説家、犬養道子さん旧蔵の品であることなどをご教示いただくことが出来ました。
◆◆そしてS女史から幸便に託して、故・石井桃子さんが百歳の誕生祝いの返礼として著されたエッセイ『雛まつり』の素敵な冊子をお贈りいただいたのです。明治40年生まれの桃子さんご自身の雛まつりについて、幼い日の思い出を丁寧に語られた作品です。
◆◆『雛まつり』によると、桃子さんは五人姉妹の末っ子―――15歳上のご長女にはお母さまのご実家から内裏雛と家来の人形や道具一式が、二番目以降は「高砂」などの添え人形が贈られ、五番目の桃子さんには「神功皇后と武内宿禰」が届けられたそうです。また、近隣からは「坐り雛」という名の裃を着てかしこまっている童子の人形(私たちは「裃雛」と呼んでいます)が次々にもたらされ、雛壇の下方に何十体も並べ飾られていました。雛飾りは桃子さんのお祖父さまの差配によって行われ、一体一体丁寧に修理しながら雛壇へとあげていかれたといいます。
――――大正時代の埼玉県浦和の町家における雛飾りの様子がありありと伝わってくるエッセイ。資料として大切に保存させていただこうと思います。
◆◆江戸時代から人形作りで栄えた埼玉県岩槻市では、古くから雛人形に加えて童子姿の「裃雛(坐り雛)」が作られ、関東地方の都市に向けて広く販売されていました。今も、岩槻は人形製作が盛んな人形のまち。毎春、町をあげて「まちかど雛めぐり」が開催されています。先年、岩槻を訪問した折に拝見した雛飾りの風景が、桃子さんのエッセイに語られる思い出の雛飾りにぴったり重なります。家庭の行事について丁寧に書きとめたものは、近代の民俗資料としても非常に貴重です。博物館は人形たちの背景にある家族の物語をお伺いできる範囲で聞き取りをし、資料として遺していく務めがあるとあらためて胸に刻んだことです。
◆◆今春は玩具博物館に『三月ひなのつき』の“寧楽びな”そっくりの雛人形は展示していないのですが、人形がご縁で結ばれ、広がっていく世界があることを嬉しく感じています。
(学芸員・尾崎織女)
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