今月のおもちゃ
Toys of this month「雑司ヶ谷のすすきみみずく」
●東京都豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神の「すすきみみずく」は、10月中旬、鬼子母神堂を有する法明寺のお会式で授与されてきた東京を代表する郷土玩具のひとつ。かつては武蔵野の山里に生育するすすきの穂を(三分咲きのころに)刈り集めて作られ、安産や子育て、健康の守りになるとして、江戸後期のころより親しまれてきました。
5、6本をふんわりと丸く、かつ、しっかりと結び留めながら成形した達磨型のみみずくに、赤い経木の羽角、輪切りして黒目を描いたきびがら、竹片のくちばしをつけたもので、すすきの穂のやわらかな質感と手の技の冴えが感じられ、非常に愛らしい玩具です。
●このみみずくには、こんな物語が伝わっています。
……鬼子母神の近くに貧しい母娘が住んでいました。母親は年来の過労がたたって病に伏してしまいましたが、娘は母のために薬を買うことも、栄養のある食物を求めることもできず、鬼子母神に母の快癒を祈るばかりの日々でした。祈りを捧げて幾日かが経ち、満願の夜、娘が疲れから神前でうとうとしていると、神が蝶に化身して現れ、すすきの穂でみみずくを作って売るようにと生きる術を授けます。試行錯誤のすえ、娘が作り上げたすすきみみずくはよく売れ、母の病気も日増しによくなっていきました‥‥…と。
●この物語の出典は『江戸名所図会』(斉藤月岑編/天保4~6・1834~36年刊)で、そこでは娘、粂女の信心と孝養心の深さが語られます。ただ、粂女が作ったものはすすき製のみみずくではなく、麦わら製の角兵衛獅子の手遊び(=玩具)であったと記されています。一方、図版には、風車やすすきみみずくも見えます。―――時代が下るにつれて角兵衛獅子は忘れられ、物語の世界にぴったりと合う愛らしさからか、病魔除けの霊力をもつとされるみみずくへの愛着からか、すすきみみずくの方が優しい娘の心を映す手守りとして語り継がれることになったようです。
●郷土玩具愛好者のバイブル『日本郷土玩具』(昭和9・1934年刊)のなかで、武井武雄は、すすきみみずくを「その素材を活かした構想の妙、天晴な名玩である」と讃え、当時は西原伊三郎ほか数名が製作していたこと、みみずくとともに、竹に和紙を張った蝶の玩具が売られていたことなどが記されています。
●先年、当館のスタッフが図書館で調べ物をしていて、昭和27(1952)年の新聞記事に面白いものをみつけたとコピーを持ち帰ってくれました。
すすきの穂でみみずくを作って御殿まりをつけ、クリスマスツリーを飾ろうという呼びかけです。他のアジアの国々が自国の玩具を小さく作ってツリー飾りに仕立てたのと同様、昭和20年代には、郷土玩具をクリスマス・オーナメントに使おうという動きもあったようです。モミの木にすすきみみずくがたくさん飾られているのを想像すると、―――なかなか素敵です!
太平洋戦争中、また戦後は、社会の混乱のなかで、雑司ヶ谷のすすきみみずくもしばらくは作られていなかったのでしょうか。記事には、すすきが少なくなり「今では忘れられ見られなくなったオモチャです」とあります。
●けれど、実際には雑司ヶ谷のすすきみみずくは幾人かによって大事に作り続けられており、平成時代に入っても、飯塚喜代子さんや岡本富見さんらの手で伝承されていました。
平成17(2005)年に岡本さんが廃業されたあとは、法明寺のご住職や地元の方々が保存会を結成して、平成22(2010)年ごろより、戦前のすすきみみずくによく似た愛らしいみみずくを作っておられます。笹にはみみずくとともに、孝養心の篤い娘・粂女に神のお告げをもたらした小さな蝶も付けられ、粂女の物語も大切に語り継がれていくことでしょう。嬉しいことにみみずくを作るワークショップも定期的に開催されています。
(学芸員・尾崎織女)