「神農さんの虎」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

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2022年1月

「神農さんの虎」

  • 大正10・1921年
  • 大阪府大阪市/紙・土

大阪市中央区道修町(どしょうまち)は、古くから薬種問屋が集まる町として知られ、今でも日本を代表する薬品会社の本社・大阪本社が軒を連ねています。この近世以来の薬の町には、薬の安全と薬業の反映を願う少彦名神社があり、薬祖神「神農(しんのう)」が合祀されています。“神農”は、人々に医療と農業を教えた古代中国の皇帝で、日本でも薬祖として、古くから尊崇を集めていました。

少彦名神社では、毎年11月22日、23日に「神農祭」が開催され、五葉笹につけた「神農さんの虎」が授与されています。この小さな張子虎が作られ始めたのは、ちょうど200年前、上方で大流行した「コレラ」が大きく関わっています。

 文政5(1822)年、コレラ菌による伝染病が、対馬、下関を経由して大阪や京都へと到達し、日本は鎖国中にありながら、第一回目のコレラ・パンデミックを体験します。3日も経てば亡くなるので“三日コロリ”と恐れられ、死者は十数万人に達したと推計されています。虎と狼が一緒になって襲ってくるとして、「虎狼痢(コロリ)」と綴られることも。
このとき、道修町の薬種問屋が、虎の頭骨や雄黄など10種の和漢薬を配合して「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきゆうおうえん)」という丸薬を作り、小さな張子虎とともに施薬したところ、コレラの病に効果を著わしたといいます。張子虎が丸薬とともに登場したのは、虎の頭骨と雄黄(天然のヒ素の硫化物!)がもたらす黄色からの発想でしょうか。古来、百獣の王である虎が、目に見えない魔を踏みつけ、調伏する勇猛な動物として讃えられてきたことも大きな理由だったと想われます。明治3年の売薬取締規則の制定などによって、この丸薬は作られなくなったそうですが、張子虎「神農さんの虎」は、疫病除け、災厄除けに効果をもたらすとして、今も少彦名神社の神農祭において授与されています。

「虎頭殺鬼雄黄圓」と「神農さんの虎」 少彦名神社資料館の展示より 

神農さんの虎は手のひらにのるサイズ。幼獣のように愛らしくユーモラスな姿が笑みを誘います。昭和初期に「日本一の虎コレクター」と言われた長尾善三氏の、数千点にのぼるコレクションの始まりは、大正10年にたまたま手にした神農さんの虎でした。以降、長尾氏は亡くなる昭和49(1974)年の直前まで、神農さんの虎を毎年のように集め続けてこられました。戦前は耳がつけられていたのが、昭和22年頃からは描き耳の虎に変わっており、経年的な蒐集は、造形の変遷や作者、時代の変化について、様々なことを教えてくれます。

神農さんの虎、展示風景

長尾さん蒐集の神農さんの虎は、現在、1号館で開催中の企画展「虎の郷土玩具」のなかでご紹介しています。

(学芸員・尾崎織女)