今月のおもちゃ
Toys of this month「復活祭のろうけつ染め卵・ピサンカ」
●復活祭(=イースター)は、イエス・キリストが十字架上で亡くなって三日目によみがえったことを祝う行事であると同時に、めぐりきた春を讃える祭礼でもあります。本年、西方教会では4月17日、東方教会では4月24日が復活祭当日にあたります。復活祭が近づくと、ヨーロッパの国々では、中身を抜いた卵殻を彩色して木の枝につるしたり、赤く染めたゆで卵を食卓に飾り付けたりして生命の目覚めを祝います。古来、卵は生産力の源として神聖視されてきたことから、この春の祝祭に結びついたと考えられます。
●Великдень(ヴェルィクデーニ/ウクライナ語)、あるいは、Пасха(パスハ/ロシア語)と呼ばれるウクライナの復活祭(本年は4月24日)を彩る造形のひとつがピサンカ(Писанка/Pysanka)で、卵殻(鶏卵や家鴨卵、鶉卵など)に繊細なろうけつ染めがほどこされた美しい手工芸品です。※ピサンカ(Pysanka =単数)、ピサンキ(Pysanky =複数)
●ピサンカに描かれる模様には100以上のパターンがあるといわれます。円と放射状の線文様は太陽を象徴し、牡鹿はその角で地底から太陽を掘り出して空に戻すとされ、これらの模様は復活の象徴と考えられています。三角形は畑を、熊手は雨を表わします。波状の線は永遠を、柳は春を、麦穂は豊作を、そして魚はイエス=キリストを象徴しています。
●色もまた、象徴的な意味をもっています。赤は人生の喜び、情熱、愛を、黒は永遠、土を表わし、白と組み合わせて死者の魂への畏敬の念を意味します。青は健康、黄は若さ、幸福を象徴するといいます。模様と色を組み合わせることで、ピサンカにはさまざまな願いが託されてきました。
●筆者は、10年ほど前に友人からピサンカの作り方の伝授を受けたことがあります。中身を抜いた卵殻に下絵を描き、溶かした蜜蝋カップつきの「キストカ」で模様付けをしていきます。例えば、二色染めを試みるときには、最後まで卵殻の白を残したい模様や部分にキストカで蜜蝋を置き、薄く明るい色(たとえば明るい緑)の染液にくぐらせます。次に、最初に染めた色(ここでは明るい緑)を残したいところに蜜蝋を置いて、濃いめの染液(たとえば濃い緑)に浸します。三色、四色・・・と色を増やしたいときには、薄く明るい色から濃い色へとこの作業を繰り返します。想う色に染めあがったら、染液の水分をよく拭き取り、ろうそくの火を近づけて描いた蜜蝋をすべて取り除いて完成させます。小さな卵を手のひらに包んで、コツコツと丁寧に模様付けをしていく時間、作り手は自分の心と対話し、濃密な精神活動を楽しんでいるように思われます。
●ご紹介する繊細で幻想的なピサンキは、ウクライナ西部イヴァーノ=フランキーウシク州などに暮らすフツル人と呼ばれる人々の手で作られたものです。
●フツルの人々が暮らす土地は、カルパチア山脈の南西に位置する山岳地方で、「フツーリシュチナ」と呼ばれています。歴史書によると、・・・・中世フツーリシュチナは、キエフ大公国やポーランド王国に組み込まれ、近世に入ると、オスマン帝国領モルダヴィア、ポーランド、ハンガリーの一部となり、フツーリシュチナの多くの地域がハプスブルク君主国、オーストリア帝国の支配下にあった時代もありました。第一次世界大戦中はオーストリア・ハンガリー帝国下でロシアと闘い、1918年にはフツル共和国が建国されるも、2年後にはルーマニア、ポーランド、チェコスロバキアに分割されます。第二次世界大戦後はウクライナ・ソビエト社会主義共和国の一地方となりますが、1991年のウクライナの独立によって、フツーリシュチナの大部分がウクライナに、一部がルーマニア(ブコヴィナ)に属して今に至るのだと。――日本人には想像を超える複雑な歴史と不自然な統治行政区分によって分断を余儀なくされながらも、フツルの人々は渓谷に囲まれた自然環境によってか、言葉も生活様式も宗教も長く同じ文化を共有し、古くから続く伝統的な造形を守り続けているといいます。
●だからこそ、象形文字のようなメッセージ性をもつピサンカが贈られるとき、フツル人同士であれば、手紙を受け取ったように贈り主の心が理解できるのでしょう。
●これら美しいピサンカの数々(ピサンキ)は、2011年から13年にかけて、東欧のイースターエッグを紹介する展示会主宰者や友の会の笹部いく子さんを通して入手したもので、企画展などで何度かご紹介したこともあります。これらの品々は、現在、堺 アルフォンス・ミュシャ館へ出張しており、同館の春季テーマ展示「ミュシャとスラヴ民族文様ースラヴ諸国のイースターエッグとともに」でご覧いただけます。ぜひ、お訪ねくださいませ。
(学芸員・尾崎織女)