江戸の手遊び「御来迎」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

Toys of this month
2024年4月

江戸の手遊び「御来迎」

  • 昭和後期(再現)
  • 日本・東京都/和紙・土・竹・木

手に持って遊ぶ道具のことを「玩具」と綴り、また「おもちゃ」とも読ませる両者併用が始まったのは、明治時代終わりのこと。それまで、地域や階層によって異なり、江戸の庶民は「手遊び」、上方では「もちゃそび」「手まもり」などと呼んでいました。
江戸時代の手遊びの姿を今に伝える文献のひとつに『江都二色(えどにしき)』があります。北尾重政の絵に大田南畝が狂歌を添え、安永2(1773)年に刊行された大人向けの絵本です。そのころまでに流行していた88種類の手遊び(=玩具)が54図に収められており、絵本を開いていくと、見たこともない手遊びがある一方で、でんでん太鼓やヤジロベエ、羽子板、風車のように今も変わらぬ姿で作られているものも見られます。

『江都二色』には、「御来迎」という名の不思議なからくり玩具が登場します。角筒から出ているつまみを押し上げると、折り畳まれた和紙が開いて、後光を背負った仏様がせり上がってきます。来迎とは、臨終する者を極楽へ迎えるため、阿弥陀如来が観音・勢至の両菩薩を伴ってやってくることをいいますが、その浄土の教えを手遊びの世界に持ち込み、小さな阿弥陀様を手中で思い通りに動かすとは、江戸後期の庶民はなんと心の自由な人たちでしょうか。

昭和時代の再現された「御来迎」

文政9(1926)年に柳亭種彦が著した『還魂紙料(かんごんしりょう)』などの文献を紐解くと、「御来迎」は18世紀初頭には既に大阪で考案されていたこと、それが江戸に伝わって流行し、安永年間(1772~81)ころまで百年間も作られ続けていたことがわかります。
そのころの江戸では、「二十六夜待ち」の風習が盛んだったそうです。太陰暦7月26日、夜半過ぎに出る月の光に阿弥陀三尊が現れると伝えられ、大勢の人々が阿弥陀様を拝もうと海岸沿いに相集い、飲んで歌って月の出を待ちました。「御来迎」は、その集会に関係があるという説もあります。
明和年間(1764~72)の中ごろには、黄紙の後光を赤紙に替えて日の出を表し、中心に烏を配した新作も登場しますが、19世紀に入ると、次第に忘れられて廃絶。現在、民芸店が作る復刻版を除いて、現物を手にすることは難しいものになっています。

明和年間に作られていたという‟日の出に烏″をイメージして作ってみました(by筆者)。月に兎、太陽に烏(八咫烏)は、対となる組み合わせの定番だったようですね!

当館では、子どもたちや学生たちに向けて玩具教室を開催し、紙筒や色紙、和紙、割りばしを使って「御来迎」の再現を試みています。作り始めは、四枚の色紙をつないで1cm幅に折り畳むところから。畳んだ色紙の下部に割り箸を挟み入れ、紙テープでまとめて扇形を作ります。それを筒に収めて扇の両端を筒の上部に接着し、千代紙で筒を装飾します。割り箸を押し上げて後光を開き、中心に阿弥陀如来の絵を貼りつけたら完成です。阿弥陀如来が出入りするとき、最も力が加わる後光と筒とのつなぎ目には、セロハンテープではなく、のりをつけた和紙を用いています。繊維に粘りがあって柔らかく、負荷によく耐える和紙の性質を作り手は体験的に理解していくのです。

「阿弥陀さまを別の何かに替えて、世界にたった一つの玩具を作ってみましょう!」——そんな呼びかけに応える若い人たちの発想は豊か。折り畳んだ黒の色紙に大小の星を散りばめた「花火」「羽根を広げる孔雀」「竹から生まれたかぐや姫」「ひまわりが咲いた」など、物語性のある作品を次々と誕生します。江戸時代の庶民が育てた玩具には色あせない魅力があり、遊び手の着想や創意を引き出す力が詰まっています。

(学芸員・尾崎織女)