ランプの家に泳ぐ鯉のぼりの下で小さな鯉のぼりを折る | 日本玩具博物館

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学芸室から 2024.05.03

ランプの家に泳ぐ鯉のぼりの下で小さな鯉のぼりを折る

現在、6号館とランプの家では、初夏恒例の特別展「端午の節句~武者人形と鯉のぼり」を開催しています。今年のテーマのひとつは鯉のぼり。展示室には明治・大正時代の紙製の真鯉や、広島県大竹市で昭和から平成時代に作られた黒と赤の端正な鯉のぼり、香川県高松市に伝わるユニークな鯉の連凧も泳いでいます。

鯉のぼりが五月の空を泳ぎ始めたのは、今から二百数十年前、江戸時代も後半になってからのことです。古い書物をみると、大きな武者幟の先に、小さな鯉が付けられている図がみえます。鯉のぼりは、端午の節句に屋外に立てる武者幟の一部が発展したものとも考えられているのですが、この比較的小さな鯉のツクリモノを巨大な鯉の吹流しへと成長させた江戸町人たちは、なんと奇想天外、壮大な感性の持ち主でしょうか!
中国で生まれた「龍門伝説」は、すでに江戸の町ではよく知られていました。百瀬の滝を遡上して、龍門をこえた勇猛な鯉は、立派な龍となって空に放たれるのです。中国において、龍は皇帝のシンボルです。大空を悠然と泳ぐ鯉は龍に化身した姿であり、究極の立身出世をあらわすものとして、江戸の町の人々の大歓迎を受けたことでしょう。

江戸で生まれた鯉のぼりは紙製で、端午の節句行事の広まりとともに、各地で知られるようになりました。明治時時代には緋鯉も作られていましたが、江戸末期から明治・大正時代に至るまで、鯉のぼりといえば、黒い鯉(真鯉)というのが一般的だったのです。
明治末から大正時代に飾られた端午の節句の掛け軸飾りなどを集めてみると、武者幟や吹き流しがはためく青空に、薫風を受けて一匹の黒い鯉が尾をはね上げる様が繰り返し描かれています。

ところで、鯉のぼりが何匹もの家族を増やしたのは、いつのことでしょうか。「いらかの波と雲の波…」で始まる“鯉のぼり”と題する唱歌が弘田龍太郎によって作曲されたのは、大正2年。この歌の三番の歌詞はこうです。
     百瀬(ももせ)の滝を登りなば たちまち龍になりぬべき 
     我が身に似よや 男子と 空に躍るや 鯉のぼり

それが、昭和6年、『エホンシャウカ』(日本教育音楽協会編)に掲載された“コイノボリ”(近藤宮子作詞)では、
    ヤネヨリタカイ コヒノボリ オオキナ マゴイハ オトウサン 
    チイサイ ヒゴイハ コドモタチ……

と歌われます。龍になって空を翔けていたはずの出世鯉が昭和時代になると、長い一本の竹竿の上、家族を連れて幸せそうに泳ぐ姿に変わっているのです。どうやら、家族むつまじく大空にはためく鯉のぼりが一般的になるのは、昭和初頭のことのようです。 

さて、GWが始まり、恒例のワークショップでは鯉のぼりが泳ぐランプの家で、「二枚の色紙で折る鯉のぼり」を紹介しました。参加できなかった方々からのご要望が寄せられましたので、こちらで折り方をご紹介します。季節の折り紙解説書やインターネット上にも鯉のぼりの折り方が数々紹介されており、それらをいろいろ参考にさせていただき、少々、アレンジを加えています。

色紙の大きさや色を変えて、どうぞご家族でお楽しみください!

(学芸員・尾崎織女)

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