「セルロイドのキューピー人形」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

Toys of this month
2024年10月

「セルロイドのキューピー人形」

  • 1910~20年代(大正時代)
  • 日本/セルロイド

今、日本で❝キューピーさん❞といえば、食品会社のロゴマークや日本各地の特産物を身につけたご当地土産のマスコットとしても親しまれていますが、キューピー(Kewpie)の生まれ故郷はアメリカ合衆国です。産みの親は挿し絵画家のローズ・セシル・オニール(1874-1944)。1909年、彼女が描いたキューピーは、赤ん坊のような体躯に愛くるしい表情を浮かべ、ローマ神話のキューピッドのように小さな翼をもっています。幸福感あふれるローズの絵の世界に接したアメリカの人々は、皆、小さなキューピーに魅了されたといいます。

1913年、オニール女史の依頼を受け、平面画であるキューピーをもとに、ドイツのメーカーが磁器製人形を完成させます。ところが、ドイツは第一次世界大戦で疲弊し、さらに敗戦国となってしまったため、人形製作どころではありません。代わって世界市場へと踊り出たのは、新素材のセルロイドを用いた日本製キューピー人形でした。
セルロイドは、セルロースとクスノキから得られる天然の有機化合物である樟脳(しょうのう)を主原料とする合成樹脂。日清戦争後の下関条約によって台湾の割譲を受けていた日本は、台湾からも良質の樟脳を大量に得ていたのです。さらにセルロイドを加工して製造する日本の玩具や人形は、欧米諸国で大歓迎を受け、1927(昭和2)年には輸出額世界1位を記録しています。セルロイド製玩具の製造地は、永峰セルロイド工業株式会社をはじめ、東京都荒川区や葛飾区、墨田区などに集中し、キューピー以外にも西洋人形や動物玩具など、様々な種類が作られていました。

大正時代のキューピー(背中の青い翼の下には、ROYAL made in Japanの文字がみえる/高さ45.5㎝)

セルロイド製玩具は、製造原価が比較的安く、国内でも、大小のキューピーが10銭から1円ほどの価格で子どもたちの手に渡されていきました。当時の児童雑誌12月号にはサンタクロースの運ぶ白いプレゼント袋のなかから、小さなキューピーがのぞいています。また、「おもちゃのマーチ」(大正12年/海野厚作詞・小田島樹人作曲)などの童謡にも詩情豊かに歌われて、戦前のキューピー愛は、都市部を中心に熱を帯びたものになっていました。

児童雑誌『コドモノクニ』第三巻十二月号(大正13年)より

先年、筆者は、祖父母の遺品の中から「入園記念に」と添え書きのある戦前の家族写真を見つけました。1938(昭和13)年、セーラー服を着た幼い日の伯母が、黒いひとみのキューピーをぎゅっと抱きしめています。キューピーは、小道具として写真館に置かれていたものでしょうか。昭和10年代に入っても人気を誇っていたことがよく伺える写真です。

昭和13年3月26日 二葉幼稚園入園記念に 筆者の祖父母と伯母(当時5歳)
昭和初期のキューピー(持ち主に手編みレースのワンピースを着せてもらっている/高さ20.0㎝)

ところで、近世以来、我が国固有の童子人形には丸々とした白い体躯に福々しい表情の御所人形があり、庶民の傍らには元気あふれる金太郎の土人形がありました。子どもたちを病魔から守り、健康に育てたいという親心に適う人形たちが愛されてきたのです。キューピー人形は、西洋文化に傾倒する当時のハイカラ趣味を満たしながらも、福々しいデザインの中に伝統の童子人形に通じるものがあったのではないでしょうか。それゆえに幅広い層の人気を獲得できたのではないでしょうか。

日本でのキューピー人形製造開始からすでに百年余り。可燃性の高いセルロイド製からソフトビニール製へ転換した昭和30年代以降、現在に至るまで、キューピー人形は愛され続けています。長く親しまれてきた理由は、その名を冠した食品会社の広報力の大きさもさることながら、このキャラクターのもつ無垢な姿が、私たちの中にある慈しみの感情を引き出し、優しい気持ちをもたらしてくれるからなのでしょう。

(学芸員・尾崎織女)