日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2014.04.12

懐かしい「ウツシエ」

新年度、新学期が始まり、皆様には意気揚々、新生活をスタートされたことと存じます。
玩具博物館は、4号館2階展示室の窓がそれぞれに四つの色に染まる季節を迎えています。東側は白い窓、西側は紅い窓、南側は桃色の窓、北側は緑の窓です。それは、井上館長が開館の頃に意図して庭に植えた木々の花色で、白は利休梅、紅は花桃、桃色は八重桜。緑はサクランボの新緑です。たくさんの玩具の展示を見疲れた目を窓外に向けておられる来館者の方々も、東西南北、ほんのり、それぞれの色に染まるように見えて、それはとても素敵な情景です。

東の窓の利休梅・西の窓の花桃・南の窓の八重桜・北の窓のサクランボの新緑


昭和10年代の「ウツシエ(写し絵)」

先日、芦屋市にお住まいの85歳(昭和4年のお生まれ)のご婦人からお電話をいただき、昭和10年代の「ウツシエ」や「少女絵葉書」などの寄贈を受けしました。それは、独特の世界観によって戦前戦後の若い女性の心をとらえ、後の時代のイラストレーターや漫画家、作家らに多大な影響を与えた中原淳一(大正2年~昭和58年)の少女絵や、これまた愛くるしい表情の童画で長く愛され続けた松本かつぢ(明治37年~昭和61年)の少女絵がデザインされたものです。 

「ウツシエ(写し絵)」は、好きな絵をシートから切り取って裏に水をつけ、筆箱でも下敷きでも移したい場所にその絵を置きます。移す場所によく密着させて擦り、そっとはがすと、筆箱や下敷きにその絵が移されているというものです。今の子どもたちもうつし絵を知っていますが、特に、昭和時代の子どもたちに人気を博していましたから、懐かしく思われる方々も多いことでしょう。

寄贈いただいた「ウツシエ」をファイル型のパッケージから取り出すと、使っていないシートとお気に入りの絵を切り取った後のシートがありました。何度もファイルから出してみては、ここへこの絵をうつそうか、それとも今度のためにこのままとっておこうか、と楽しく迷いながら大切にしていた戦中の少女の姿が想われます。寄贈下さったご婦人は、「……身辺整理の時を迎え、ゴミに出せば済むことですのに、八十年近くを私と共に存在してくれたことを想いますと、少し感傷的になりまして、ひと目でもどなたかに見ていただければ……」とお手紙を添えてこられました。

「慰問用 淳一うつし絵 第二集」のファイル型パッケージ(裏側) 
“日本玩具統制協会”に査定を受けたシール貼られています。

ロマンチシズムをたたえたモダンファッションの少女像の傍におどる「愛国」の文字には何か違和感がありますが、昭和16年頃以降、玩具類の製作販売にはこの文字は欠かせず、また、主に材料統制を目的に設立された「日本玩具統制協会」の許可シール添付が必要でした。「慰問用」とあるのは、少女の絵葉書をつかって、また、便箋にウツシエを施して、“戦地におられるお父さまへお手紙をお送りしましょう“という意味です。寄贈者のご婦人にとって、「ウツシエ」や「少女絵葉書」は、ご自身の少女時代ばかりか、ご両親の思い出にもつながる品々であったのかもしれません。

この時代には、「赤い鳥」「コドモノクニ」「キンダーブック」に代表される芸術的な児童誌や絵本が存在し、当館も、これらの資料を少々、所蔵しています。また先月も「手元に大切にとっていたのですが…」と、戦前の児童誌をお寄せ下さったご婦人がありました。こうした資料にふれると、思想的にも材料的にも制限された戦時下にあって、子どもたちの豊かな情感を育もうと、ぎりぎりまで頑張っていた人々の強い志を思います。玩具製作の場面においても、私たちが想像する以上に子どもの心が守られていたことに胸を熱くいたします。

『観察絵本キンダ―ブック』第七輯・第五編と第七編(昭和9年/日本玩具研究会編/フレーベル館刊)

戦時下の情操豊かな玩具の世界について、今の私たちには学ぶことが多くありますので、この時代の玩具に児童誌などをまじえて、いつか、企画展をつくってみたいと考えています。

 (学芸員・尾崎織女)

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