きりばめのお細工物  | 日本玩具博物館

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学芸室から 2013.05.09

きりばめのお細工物 

ゴールデンウィークの真っただ中、古くから日本玩具博物館とお付き合いのある裁縫お細工物の蒐集家、米津為市郎さん(愛知県一宮市在住)をお迎えしました。米津さんは、若い頃より、日本のモノづくり文化の中、注目されることもなく、文化的価値を認められることも少なかった名も無き“女性の手の技”に 強い関心を抱かれ、お仕事の傍ら、全国を歩いて“手まり”を蒐集し、民俗学的なご研究を続けてこられた方です。そして後年は、 “きりばめ”とか、“ヌイコミ”“キリツギ”とか呼ばれる袋物に的をしぼり、京都や滋賀、三重、愛知、岐阜などに遺された明治末期から昭和初期の資料を数多く蒐集してこられました。

縮緬(ちりめん)や錦の布裂を縫いつないで様々な形態の袋物をつくる裁縫お細工物は、江戸時代後期に上流層から大都市部の町家にも広がり、明治時代に入ると、女学校の家庭科教材にも取り上げられて人気を博したことについては、日本玩具博物館の展示活動や出版活動を通して繰り返しご紹介しておりますので、すでにご覧下さっていることかと思います。

明治時代に編まれた女学校の教科書には、お細工物を教材に採用する目的として、手指の技術の向上、美的鑑識力の発達、ものを大切にする精神の養成をあげています。明治時代の女学校は、小さな残り布も無駄にせず、配色や形の美しさに配慮する感性、それらを暮らしに生かす知恵と技を持った女性を育てようとしていました。

そうしたお細工物の中で、最も高度な技術を要したのが、まるで絵を描くように小裂をぬいつなぐ“きりばめ”の手法を用いた作品です。“きりばめ”とは、縮緬の布地に型紙を置いて絵の形に切りぬいた後、そこに、金襴や繻子、縮緬などの別裂をはめ込んで縫い合わせる手法をいいます。細かな曲線を縫いつないでいくのには、絹糸の縒りをほどいて一本に裂き、摩擦などで糸が毛羽立つのをふせぐため、指に薄いのりをつけてしごき、一針ごとに細かい返し縫いがなされました。これは、江戸時代に完成をみた技法で、袋物や袱紗(ふくさ)などの製作にも多用されていました。

きりばめ細工の袋物製作過程『芦屋道満大内鑑』の“子別れ”の場面
(写真上)…表・(写真下)…裏 <日本玩具博物館コレクション>

東海地方や近江地方には、歌舞伎の外題や源氏物語などの名場面、また、福神や松竹梅、鶴亀などの吉祥文様を“きりばめ”で細工した袋物を嫁入り道具と一緒に持参する風習が残されていました。

岡田照子氏のご研究によると、三重県四日市市では、婚礼の折、花嫁が婚家に入ったと同時に、袋に入れた菓子や“カヤ(榧)の実”を嫁見に集まった子どもたちに撒き配る風習があったそうです。カヤ(榧)の実”を入れる袋なので、“カヤブクロ”と呼ばれ、“きりばめ”の手法によって縫い継がれた美しいものです(「カヤブクロの民俗」~『四日市市史研究・弟6号所収/平成5年)。 

“きりばめ”の手法は技術と根気が試されるものであったことから、裁縫の腕前や美的センス、人柄などを婚家に披露する意味があったのでしょう。また、きりばめの袋物は幾万もの膨大な針目によって作られますから、その縫い目に宿る霊力によって、縫い手とこの世との縁を 強化し、持ち主の人生を守護するものと考えられていたのかもしれません。きりばめの袋物は、儀礼がある度、寺社へ穀物を供えたり、親類知人へ祝い米を“一升”持参したりする入れ物として、女性の生涯にわたって使用されたことから、“一生袋”と呼ばれる地域もありました。

きりばめ細工の袋物・近江八景(明治末~大正期)<米津氏寄贈>

米津さんは、そのような“きりばめ”の袋物の型紙や製作途中の資料なども蒐集して、その図案や意匠(デザイン)を比較検討し、高度な技を要する袋物が、女性たちにどのように教えられ、どのように作られ、どのように使われ、そしてどのような地域で好まれたものかを研究してこられました。
米津さんは、裁縫お細工物の世界を明らかにしようとしてきた日本玩具博物館の活動に信頼を寄せて下さり、2010年には、大切にしておられたコレクションのうち、20点の大型作品をご寄贈下さいました。そして、先日は、私どもが所蔵する作品の図案に関連する原画や下絵、型紙など30点を「展示や復元活動に役立てて下さい」とお寄せ下さったのです。このような作品の下絵や型紙はかつての女性たちの裁縫の世界の実態を具体的にし、作品の背景に広がる人々の営みに光を当てるものとして、非常に貴重です。

きりばめ細工の袋物・七福神宝船(大正期)<米津氏寄贈>

歌舞伎の役者たちをテーマにした作品の中には浮世絵を写したと思われる下絵も見られますし、花鳥風月をテーマにした作品には、大和絵を参考にしたと考えられる下絵も見られます。裁縫お細工物の図案について、その元になった絵画資料を求める中で、当時の女性たちの憧れや趣味、教養についても垣間見ることができそうです。

歌川国貞(=三代豊国)「加賀見山旧錦絵」のお初(沢村田之助)と岩藤(坂東彦三郎)を描いた浮世絵 <鳴弦文庫電子図書館より>
きりばめ細工の袋物の下絵「加賀見山旧錦絵」
(上)お初 (下左)中老・尾上  (下右)局・岩藤 <米津氏寄贈>
きりばめ細工・加賀見山旧錦絵の袋物(明治後期)

米津さんから寄贈を受けた資料については、時をとらえて広くご紹介させていただきたく思っています。米津さんの素晴らしいお仕事と私どもへの友情に対して、まずは学芸室より厚く御礼申し上げます。

(学芸員・尾崎織女)

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