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blogたばこと塩の博物館「ちりめん細工の今昔展」より
■新暦桃の節句も過ぎ、ひと雨ごとに春らしさを増す昨今です。 さて、1月23日にオープンしたたばこと塩の博物館「ちりめん細工の今昔展」(東京都墨田区)には、手芸愛好者だけでなく、造形文化に興味をもつ多くの方がお越しになり、百年前、百五十年前に作られた細工物の繊細さや美意識の高さに感嘆の声をあげ、目を細めてご観覧下さっています。
■去る2月24日は「ちりめん細工(裁縫お細工物)の歴史をたどる」と題して、講演会をもたせていただきました。―――あんなこともこんなことも…と欲張ったせいか、まとまらないお話になってしまいましたが、歴代の女性の思いがこもった造形を囲み、温かなひとときを過ごさせていただきました。ご参加下さった皆様には本当にありがとうございました。定員の倍近いご来場者があったため、会場へお入りいただけなかった方には本当に申し訳なく思っております。
■講演会では、江戸後期に武家や町家などで愛された誰袖 (たがそで) 形のお細工物や花形の独楽、三角形の浮世袋のお話から始めました。
―――天保12(1841)年、柳亭種彦が著した『用捨箱』には、①衣服の袖の形に作った袋を二つ紐で結び、たもと落とし(ひもの両端に一つずつ結びつけ、左右のたもとに落としておくもの)のようにして携帯する誰袖形の袋物や、②花をかたどった袋、また③三角形に縫い、中に綿を入れて上の角に飾り糸をつけた浮世袋が登場します。以前は、香類を入れ、匂い袋として使用されていたのが、やがて、誰袖袋は楊枝さしに変わり、花袋は花独楽になり、浮世袋はただ三角の、なんとも名付けがたいお細工物になっていると記されています。―――その理由として、柳亭種彦は、これらを作るのは女子が針の業を習練するためだから、費用のかかる香類を入れなくなり、袋をもたない造形に変化したと推測していますが、こうした記述によって、当時、武家や町家の女性たちの間で細工物が盛んに行われていたことがわかります。
■また、当時の浮世絵にも、コテを手に誰袖形の楊枝さしや花独楽の部品と思われるものを作っている女性が描かれています。
■たばこと塩の博物館の展示室では、江戸後期の手芸文化の薫りを伝える作品に幾枚かの当時の浮世絵を合わせてご紹介しています。それらの浮世絵は、たばこと塩の博物館の所蔵品であり、また今回の企画展をご担当いただいた湯浅淑子学芸員が収集された資料です。会場で作品と合わせて、当時の女性たち息遣いを感じていただけたらと思います。
■今後は、ちりめん細工研究会の皆さんと一緒に、誰袖袋や楊枝さし、浮世袋などの復刻に取り組んでいくのも素敵な試みではないかと思います。
―――色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも(古今集・春上)
東京から戻ってきましたら、玩具博物館の庭に乙女色の梅がほころび、あはれなる香を漂わせていました。いよいよ春ですね。
(学芸員・尾崎織女)
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