ブログ
blogプラハに残された100年前の日本のおもちゃ
*今週、私たちは、思いがけないお客さまをお迎えしておりました。チェコの首都プラハにある国立博物館(ナープルステク・ミュージアム)の学芸員で、同館が所蔵する日本と韓国のコレクションを担当しておられるエレナ・ガウディコバ(Helena Gaudekovά)女史です。「プラハで来年開催する日本文化展についてご協力願いたい」というご来館の趣旨は、知人を通して、あらかじめお聞きしてはおりました。
*ところが、「プラハ国立博物館が所蔵する古い日本の玩具について、情報のないものがたくさんあるのです。これらがどのような年代にどこで作られ、どのような意味をもつものかを教えてほしい」と、エレナ・ガウディコバ女史がパソコン上に示していかれるデータを拝見しているうち、「まぁ!なんと!!」と私たちは目を丸くしてしまいました。日本ではすでに廃絶してしまった明治時代の玩具のいろいろが、所蔵品カードを通して、次々とあらわれてきたからです。
*「エレナさん、貴館のこれら貴重な玩具コレクションは、どのようにして集められたのですか?」
―――「プラハ国立博物館は、玩具だけでなく、浮世絵や絵画、刀剣の鍔や蒔絵の工芸品、さらに明治時代の日本を撮影した写真……様々な日本文化資料を所蔵しています。これらは、幾人かのチェコ人コレクターからの寄贈品ですが、その中の大多数は、ジョー・ホローハ(Joe Hloucha)によって収集されたものです。」――エレナさんはそう言って、日本の美術工芸品を収録したカタログを見せて下さいました。そこには写楽、英泉、国貞らの浮世絵、月岡雪鼎の美人画、18世紀の仏像、柿右衛門の器、象牙彫の根付、竹細工の花入、手拭い……そして、我らが“神戸人形”までもが美しく紹介されていました。
*―――「ジョー・ホローハ(1881-1957)は、『嵐の中の桜Sakura in the Storm』や『我が菊花婦人My Lady of Chrysanthemum』など、日本を題材にした作品で知られる作家ですが、日本の工芸品や文物の収集においてもすばらしい才能を発揮した人物です。彼が日本へやってきたのは、2回。1906(明治39)年と1926(大正15)年です。日本の風景、人物、情緒…様々なものに見せられたホローハは、自らを“保呂宇波”と名のり、プラハ郊外に日本建築を真似た鳥居つきの茶館をつくったりもしていました。“横浜”という名前の茶館で、日本の民族衣装をまとったチェコ人女給を配していました。その様子を撮影した写真も残されているのですよ。」
*江戸時代末期から明治時代にかけて日本にやってきた外国人の中には、綿密な手記を残し、また日本の文物をコレクションして本国に持ち帰る方々も少なくなかったようです。アメリカの動物学者、エドワード・モース氏は、日本では大いに知られていて、他にも幾人かの名前は思い浮かんできますが、チェコの作家、ジョー・ホローハ氏の名前を知る日本人は限られているのではないでしょうか。けれど、玩具についてだけとりあげてみても、彼のコレクションの中には、これまで存在すら知られていなかった明治時代の発音玩具が含まれていたり、100年ほど前の日本の玩具製作の実態を理解できる資料が残されていたりするのです。
*江戸時代末期から明治時代にかけて日本にやってきた外国人の中には、綿密な手記を残し、また日本の文物をコレクションして本国に持ち帰る方々も少なくなかったようです。アメリカの動物学者、エドワード・モース氏は、日本では大いに知られていて、他にも幾人かの名前は思い浮かんできますが、チェコの作家、ジョー・ホローハ氏の名前を知る日本人は限られているのではないでしょうか。けれど、玩具についてだけとりあげてみても、彼のコレクションの中には、これまで存在すら知られていなかった明治時代の発音玩具が含まれていたり、100年ほど前の日本の玩具製作の実態を理解できる資料が残されていたりするのです。
*明治時代末期から昭和初期にかけて作られた日本土産としての“神戸人形”はどのような姿であったのか、どのような人々によって愛されたか、たとえばそのことを、ホローハ氏のコレクションは、私たちに伝えてくれます。当時は周りにあふれ、ありふれたものであったかもしれないそれらが、ホローハ氏の審美眼にすくい上げられ、プラハへ持ち帰られ、時を越えて今に伝えられているということ。品物が遺されているからこそ、後世の我々が知りたいことを知り得、感じたいことを感じ得るのだと思います。それらを学び、未来を築く力を得るのだと思います。博物館の最も大きな役割はここにある、といえるのではないでしょうか。
*名前すら知らなかった日本文化通のチェコ人、ジョー・ホローハ氏の存在を彼のコレクションとともに知らせて下さったエレナさんに感謝しています。一日がかりで、エレナさんは私たちが古い日本の玩具について話した事項を書きとめられ、興奮気味に郷土玩具のコーナーをご覧くださいました。一つも聴き逃すまい、一つも見逃すまいと、三春張子や箱根細工を見つめるエレナさんのまなざしに100年前のホローハ氏のまなざしが重なり、日本人として、また玩具博物館のスタッフとして、胸にじんと込み上げてくるものがありました。エレナさんは、私たちの館を去られた後、浮世絵の専門家や仏教美術の専門家のもとを回られると聞きました。今後も親しく交流を続け、この出会いが、互いにとってよいものに拡がっていけば嬉しいこと!と思います。
(学芸員・尾崎織女)
バックナンバー
年度別のブログ一覧をご覧いただけます。