「京阪神地方の御殿飾り雛」 | 日本玩具博物館

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2008年2月

「京阪神地方の御殿飾り雛」

  • 大正12年
  • 日本・高島屋(大阪)調製/木・練物・布・木・紙

 京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といい、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。御殿飾り雛は、 大正から昭和時代初期にかけて、御殿飾りは京阪地域の都市部を中心にさらに広がりをみせ、簡素で軽快な印象のある板葺きの御殿が数多く作られました。

 写真は、昨年、神戸市東灘区にお住まいの方から寄贈を受けた大正12年製の御殿飾り雛一式です。 御殿の高さは約70cm、幅は115cm。本殿と両側に脇殿を持った作りで、御殿の部品をすべて納めておく木箱には「宝閣殿」とその名が示され、「白木極上三寸、屋根付両廊下」と明記されています。さらに箱の中には、「Takashimaya Osaka Nanba(高島屋 大阪難波)」とこの御殿飾りをプロデュースした百貨店名がありました。

 日本玩具博物館は、この資料をふくめ、同じ御殿飾り雛を3点所蔵しています。巻き上げた御簾から下がる房飾りの色などが違う程度で、セットされている人形も道具も共通しており、いずれも、大正12~14年にかけて、大阪の百貨店で購入されています。また、同じ作りで、向かって右側にのみ脇殿をもつ大正末期の御殿飾りを5点所蔵していますが、人形たちの作り方、諸道具のセット内容などが、この写真の資料とも非常によく似ていて、同じプロデューサーの「商品」ではないかと思われます。

 明治時代流行の大型御殿飾り雛は、男性の手を借りなければ飾ることが難しい大きさと重量を持ち、雛飾りのために、10畳ほどの座敷が必要となってしまいます。対して、細やかなパーツをコンパクトに収納でき、比較的軽量な大正時代の御殿は、女性たちの手で充分に建てられるし、床の間などに飾ることも可能です。大正時代、徐々に人口が集中していく都市の住宅で歓迎されたものに違いありません。