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blogランプの家の七夕飾り2020
*今夕から明日の朝にかけては月遅れの七夕。今年もランプの家に播磨の七夕飾りを立てました。典型的な播磨七夕は、2本の笹飾りの間に1本の女竹を渡し、そこに、色づき始めたホオズキ、やっと穂が出始めたイネ、初生りのカキ、クリ、イチジク、そしてナスやキュウリ、ササゲ、トウガラシ、トマトなど、畑の野菜をそれぞれ一対にしてつるすものです。地区によって、また家庭によってつるし飾る野菜は異なります。
*2本の笹飾りの間に初生りの野菜をつるす七夕飾りは、今ではほとんど見られなくなってしまいましたが、播磨から但馬、丹波においても昭和初期頃、あるいは戦後すぐの頃までは盛んに行われていたことが、各市町村史の民俗編などには明記されています。
*聞き取り調査を行うと、「七夕さんはハツモン喰いやから」と明治生まれの古老たちは言いました。それらは秋の豊作祈願でもあり、古い資料に照らし合わせてみるとき、この形態はかつての盆棚によく似ています。仏壇が各家庭に普及していなかった時代、お盆の一週間前に当たる七夕は、盆棚(=精霊棚)を準備する日だとされていました。対の野菜をつるして供える盆棚の形態が播磨地方の七夕に受け継がれているのかもしれません。
*そうした野菜をつるす七夕飾りに加えて、”七夕さんの着物”の飾りもプラスしました。それは、市川の上流にあたり、古くから銀山で栄えた生野町や、市川の下流域東岸にあたり、塩田で栄えた姫路市から高砂市にかけての町々(白浜、的形、八家、東山、大塩、曽根など)にも伝わっています。農作を生業としない地域にみられる愛らしい”七夕さんの着物”は、江戸中期から後期にかけて、大都市部の町家で盛んに行われていた「貸し小袖」の習俗を伝えるものではないかと思われます。
*「貸し小袖」――すなわち、初節句を迎える子どものために、新たに仕立ててまだ袖を通していない小袖を七枚、七夕に飾って天に捧げれば、織姫が二倍にも三倍にもして返してくれるので、その子が一生、着物に不自由しないというもの――の小袖が簡略化されて紙製の手作り着物になったのではないでしょうか。大塩でも八家でも、紙製の“七夕さんの着物”を「たくさん祝ってもらったら、一生、着物に不自由しない」と伝わっているのです。
*一方で、“七夕さんの着物”を“七夕人形”と呼ぶ人たちもあります。なぜなら、着物の襟元を切り落とさず、三角形の頭が残されており、それはまるで、神社から授与される「ヒトガタ」にも似たスタイルだからです。ヒトガタは季節の変わり目に当たり、人々の身のケガレをのせて水に流すもの。そのためでしょうか、銀山の町、生野町や播磨灘沿岸の大塩町で聞き取りを行った折、「七夕人形を飾ることで厄が祓われる・・・」という数人の古老がありました。七夕の一週間前は、水無月晦日(6月30日)で、夏越の祓が行われる日です。“七夕さんの着物”には、裁縫の上達を願い、一生着るものに恵まれるように祈る七夕まつり本来の意味合いに加えて、災厄を祓うヒトガタのイメージもまた、ほのかに託されているのかもしれません。
*平成時代を経て、“初生りの野菜”とつるす七夕と同様、“七夕さんの着物”の飾る家庭の七夕もまた、どんどんと退潮しているのですが、それでも、生野町においても、播磨灘沿岸地方においても、各町の図書館や公民館、また町内会の皆さんがこの時期になると、伝承の七夕飾りをほどこし、“七夕さんの着物”作りの伝承会なども開催しておられます。
*今夏はコロナ禍の影響を受けて、町をあげての七夕まつりも難しい状況・・・・、淋しい限りです。笹が入手できなくても短冊を書いて窓辺につるしてもよいし、紙の着物を作られてもよいし――どうぞ、今夜は家庭の七夕まつりをお楽しみください。
*ランプの家の七夕飾りは、“初生りの野菜”と“七夕さんの着物”を二段に並べ飾る合体型です。8月9日まで飾っておりますので、ご来館の皆さまにはぜひご覧ください。短冊を書いてつるしてくださいね。
(学芸員・尾崎 織女)
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