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blog<見学レポート>ひと月遅れの端午「久谷の菖蒲綱引き」
*ひと月遅れの端午の節句。山陰海岸を目指して車をとばし、兵庫県美方郡新温泉町(旧浜坂町)久谷地区に伝わる端午の「菖蒲綱引き」 の見学に出かけました。学生時代の夏休みは、影絵劇や人形劇を制作して旧浜坂町や旧香住町にお邪魔し、あちらこちらの小学校へ巡回公演に伺ったものでした。久谷地区も若い日の思い出がたくさん詰まった村なのです。
*その懐かしの久谷地区に江戸時代後期から脈々と伝えられる「菖蒲綱引き」は、国の重要無形民俗文化財に指定された意味の深い民俗行事です。毎年、6月5日の夜8時頃から、地区の方々の手で作られた「菖蒲綱」を引き合うもので、久谷川と瀬間川が交わる公道で行われています。
*当日は午後1時頃に準備が始まりました。前日に各家の屋根に葺かれた菖蒲・蓬・ススキの束を子どもたちが下ろし集めるところから(「菖蒲おろし」)。村の家々の屋根に「菖蒲葺き」がほどこされた風景に私はうれしくて涙が出そうになりました。それは、平安時代の京都ではすでに盛んに行われ、一千数百年の時をこえて今に残された端午の節句のゆかしい風習です。兵庫県内ではほとんど見られないその「菖蒲葺き」が、ぽつんと一軒だけ行われるのではなく、村中にあるのですから!! 菖蒲はどこから?!とみれば、川端のあちらこちらに菖蒲が緑の刀のようにシュンシュンと伸びています。後で伺うと、それらの他、この行事のためにはたくさんの菖蒲が必要になるので、田んぼで特別に育てているということでした。
*子どもたちが集めてきた菖蒲、蓬、ススキと大人たちが用意した稲わらを合わせて、まずは22~3メートルほどの細い三つ組み綱が作られます。それらをさらに三つ組みにして直径30センチほどの太い綱に仕上げると、それと同じものがもう1組用意されます。2組の太い菖蒲綱を真ん中でつなぎ合わせれば約40メートルの引き綱が完成します。年齢や性別に合わせてそれぞれの役割があり、保存会にかかわるすべての方々の力で出来上がった菖蒲綱の姿は、夏の初めの明るい日差しを受けて、きらきらと輝き、まるで地上に降りた龍のようでした。
*綱引きは子ども組と大人組との対抗戦で7回勝負です。「石場突唄」を七節歌いつつ、しゃがんだ姿勢で綱を地面に打ち付け、‟納め唄”を合図に全員が立ち上がると、息を合わせて綱引きが始まります。子ども組には若く元気なお父さんやお母さんが加勢するものだから、大人組はその勢いに引きずられてしまいます。大人組が勝負を制すると豊作のしるしだと伝わるのですが、厄除けと地区の発展を願う綱引きに、子ども組の勝利は吉兆ともいえるでしょうか。綱が地面に打ち付けられ、引かれる度に菖蒲が芳香を放ちます。地区の古老が歌う古風な「石場突唄」と相まって、江戸時代の美しい農村へタイムスリップしてきたかのような、身体の中にある自分の故郷が起き上がってくるような、不思議な感覚を覚えました。
*地面に綱を叩きつける――――このような所作は伝承の行事に繰り返し現れるもので、民俗的な意味合いがあると思われます。
*“菖蒲の葉を編む”といえば、その昔、明治時代の頃までは各地に伝えられていた「菖蒲打ち」という名の男児の遊びを思い起こします。編んだ菖蒲を思い切り地面に叩きつけて、その音の大きさを競い合う遊戯で、江戸時代後期の浮世絵などにもその様子が描かれています。久谷の菖蒲綱引きでは、“三つ組みに編んだ菖蒲綱を何度も地面に叩き付ける”という所作があると資料で拝見したことから、すっかり廃れてしまった近世の遊戯「菖蒲打ち」との共通性を知りたく思い、それがこの行事を訪ねた理由でした。新たな知見を得ることも叶い、久谷の菖蒲綱引きは感動的でした。
*久谷には「ノボリタテ」という端午の行事も伝わっています。6月5日の明け方、結婚して初めての端午を迎える若夫婦が暮らす家の庭に、未婚の青年たちがそっとそっと武者幟を立てにやってきます。家の人たちには絶対に見られないように、そっとそっと…。武者幟には男児が誕生するようにという願いが込められているそうです。男児が望まれた時代の習俗。外飾りとして武者幟もほとんど見かけなくなった今日、瓦屋根を越えて鯉のぼりとともに武者幟がはためく風景はとてもよいものでした。
*全戸60前後、人口約300人。ほとんどお家が保存会のメンバーであり、総出で忙しく立ち動いておられる中、突然来訪した者を温かく迎え入れて下さった久谷の皆さま、特に行事についてたくさんのことをご教示下さった久谷菖蒲綱保存会会長の岡坂峰雄様に心より感謝を申し上げます。
*ご興味のある方にはぜひ、ひと月遅れの端午の節句に、新温泉町久谷をお訪ね下さいませ。
(学芸員・尾崎織女)
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