日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2021.01.16

小正月に寄せて

小正月も過ぎ、いよいよ新春気分を抜け出す時期ともなりましたが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。睦月の当館では、松飾り(金玉飾り)に加え、展示室のあちらこちらに素朴な餅花飾りをほどこしています。ご来館の方々には節分まで、“花正月”気分を楽しんでいただけることと思います。

ところで、皆さまは小正月といえば、家庭で、また地域でどのような行事をもたれますか。朝、粥杖でかき混ぜながら小豆粥を食べて家族の健康を願われましたか。また、稲の刈り取り跡がのこる田に円錐形などに竹を組み、無病息災や五穀豊穣を祈って、門松やしめ飾りや書き初めた書などを焼く「左義長」(「とんど焼き」「どんど焼き」など)の行事をもたれたでしょうか。


郷土玩具のなかの「手守り」

郷土玩具の世界には、大正月から小正月にかけての民俗行事にちなむ護符や守札などが伝わっています。

大正末期の卯槌――東京・亀戸天神社/名古屋・桜天神社の授与品

上の画像は、大正末期の“卯槌”で、向かって左が東京・亀戸天神社、右が名古屋・桜天神社から授与されたものです。桃の木製の六角柱を紅白の和紙で包み、五色の組み糸が結ばれています。桃の木も五行(木火土金水)を表す五色の糸も強い邪気祓いの力をもつと考えられたため、強い魔除けの護符として大切に扱われてきました。
“卯槌”は、“卯杖”とも称され、貴族社会では、新春あけて初卯の日(今年は1月7日が初卯の日でした)に、邪気を祓うとして「杖」を内裏に献上し、女房たちも相互に贈りあったと伝わります。卯杖の儀礼は、時代が下るにつれて庶民層へと広がり、幕末頃には、初卯詣でが盛んな神社もあったようです。

飛騨地方に伝わる“祝い棒(招福棒)”――七宝文様のうち、丁子が描かれています

上の写真は飛騨地方に伝わる“祝い棒(招福棒)”で、六角柱形の木の棒は「削りかけ」の手法で飾られ、七宝文様や松竹梅などの縁起の図柄が描かれたものです。「削りかけ」は、木片を薄く削って花のように縮らせたもので、神を迎える依り代とも考えられています。秋田県横手市郊外の旭岡山神社の祭礼で売られる“ぼんでこ(祝儀棒)”にも「削りかけ」が施されていますが、縮れ方が非常に繊細です。

秋田県横手市の「梵天奉納祭」で売られる“ぼんでこ(祝儀棒)”

これらは、小豆粥をかき回して豊凶を占う“粥かき棒”や、豊作を願って果樹を叩いたり、多産を願って新嫁のお尻を打つ“嫁たたき棒”、実りに群がる鳥を追ったりする“鳥追い棒”など、日本各地に残された古い小正月の習俗に登場する木の棒とも共通し、いずれも呪術的な力を秘めた護符と考えられます。

    

千葉県上総地方に伝わる“ホージャリ”

そしてこちらは、千葉県上総地方に伝わる“ホージャリ”。ホージャリは、“バタバタ”、“タビタビ”などとも呼ばれる小正月の鳥追い行事をさし、また、その行事に子どもたちが作成して、家々に配る人形のこともそう呼びました。ホージャリは、稲藁束に男女の人形と日の丸の小旗、松皮と竹棒で作った鋤や鍬を刺したもので、子ども達はこれを重箱に入れて家々をめぐります。手作りのホージャリと交換に米や餅などをもらって宿に戻ると、焚火を囲み、丸太を叩きながら鳥追い歌を歌って会食したそうです。

このように、郷土玩具の世界は、近代的な「玩具」の概念には当てはまらない、近世の「手守り」文化を伝えており、小正月に限らず、すでに廃れ、忘れられていく民俗行事の姿をそっと留めています。

(学芸員・尾崎 織女)

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