日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2023.09.23

戦前朝鮮の姉さま「閣氏」と鳥笛「閑古鳥」

本ブログでも時々ご案内しておりますように、当館は、戦前に日本やアジアの郷土玩具を蒐集し、懐妊、安産祈願、子育て、病魔除けなどの民間習俗との関係に焦点を当てて研究を行った尾崎清次氏(1893~1979)のコレクションの多くを引き継いでいます。1893(明治26)年、愛知県に生まれた尾崎清次は、1917(大正6)年、京都府立医学専門学校(現京都府立医科大学)卒業後、京都帝国大学(現京都大学)医学部小児科教室に、1921(大正10)年には、兵庫県神戸市の児童相談所に技師として勤務します。その翌年、新婚の妻とともに和歌山を訪れた際、祠に供えられていた「桃持ち瓦猿(和歌山市の郷土玩具)」の素朴な美しさに打たれ、また玩具が民間信仰と深いかかわりをもっていることに目を開かれて、郷土玩具への関心を深めます。

和歌山の郷土玩具・瓦焼きの「桃もち猿」と尾崎清次氏が『琉球玩具図譜』で取り上げた日吉山王社の猿

医師としての本業にまい進するかたわら、1923(大正12)年には「婢子会(ほうこかい)」の同人となって、同好の士とともに郷土玩具の研究にも取り組み、1924~26(大正13~15)年にかけて、『日本土俗玩具集』(全五編)を刊行します。1929(昭和4)年、笠原道夫博士(1883~1952)が笠原小児保健研究所を開設すると、同所の研究員として、『育児上の縁起に関する玩具図譜』(全三巻/1929~31年)を上梓しました。また同年に朝鮮、1932(昭和7)年には沖縄を訪問し、その成果を『朝鮮玩具図譜』(1934年)、『琉球玩具図譜』(1936年)に発表しています。

当館は、『育児上の縁起に関する玩具図譜』と『琉球玩具図譜』を所蔵しており、『琉球玩具図譜」については、現在、浦添市美術館で開催中の「なつかしの日本の郷土玩具展」に戦前の玩具とともに出品中です。残念ながら『朝鮮玩具図譜』を所蔵していないため、1983(昭和58)年、玩具図譜第四巻として、村田書店より復刻出版された書を古書店より購入して、他の図譜と合わせて熟読してみました。

近世から近代にかけて、中国や日本においては、❝爆発的❞と想えるほど、家内工業的に作られた素朴な郷土の玩具文化が花開いたのと対照的に、李王朝が君臨した近世の朝鮮半島においては、様々な理由から、商品としての玩具や人形があまり発達しませんでした。その理由について、復刻版の『玩具図譜 第四巻』(朝鮮玩具図譜)のあとがきで、昭和時代を代表する郷土玩具研究者のひとり、朏健之助氏(1908~1990)は、一に、李王朝時代の国家的な不安と人民の生活の困窮荒廃、二に、儒教を重んじる社会において玩具は贅沢品と位置付けられ、子どもは遊ばせるのではなく躾けるものととらえられたため、三に、早婚の慣習があったために少年少女期が短かったため、四に、❝悪鬼がのりうつる❞として人形類を宵越しにもつことを忌む風習があったことをあげています。

戦前、朝鮮半島各地の商店などをめぐり歩いても、日本に比べて玩具を見つけることが難しいと、尾崎清次氏の先行研究で繰り返し述べられる中、尾崎氏は日本の郷土玩具に表現される民間信仰と共通性を探り、朝鮮半島とのつながりを示す実例を求めて調査の旅に。―――商品玩具だけではなく、家庭内で作られていた人形や玩具などにも注目して現地収集を行い、50件の資料について自作の絵と解説によって当時の玩具の様態を紹介したものが『朝鮮玩具図譜』です。

尾崎清次コレクションのなか、この図譜に取り上げられた品々の一部をこの度、収蔵缶から取り出しましたので、そのなかから、戦前、朝鮮の家庭で作られていた「閣氏」と呼ばれる手作り人形――日本で「姉さま」「オカタサン」「ボンチコ」「タチコサン」「オヤマサン」「アネッコ」などと呼ばれた女児の手遊び人形に相当するでしょうか――や鳥笛をここに初公開させていただきます。

この画像左の閣氏は、図譜の第四図に紹介されたもので、すべて小裂(こぎれ)製。チマチョゴリを身に着け、黒糸を作った髪を三つ編みにして後ろに垂らした女児の愛らしい姿を表現しています。右の閣氏は、図譜の第五図に紹介されています。植物の球根を頭に見立てて細竹を差し込み、そこに衣装を着せ、後ろ側に青草を束ねた髷をつけたもの。100年近い歳月を経て、球根は枯れてしまっていますが、――それにしても、よく遺っていました!——図譜の絵の上に置くと、尾崎氏が描いた頃の姿をよくとどめていることがわかります。

図譜には掲載されていない「閣氏」~旧尾崎清次コレクション~ 竹製の頭部と胴部に小裂の衣装を着けています

図譜には、趣向の異なる6件の閣氏が掲載されていますが、頭部が球根製であるものを除いて、すべてに目鼻が描かれています。一般に朝鮮においては近年まで、人形に目を描くと、そこから悪鬼が宿り、持ち主に災いを与えるという恐れから、人形を傍に置くことを避ける風習があったと言われますが、顔を描いた閣氏ついて、尾崎氏は「閣氏に目鼻を附けると妖怪(トツカビ)となるという伝説がある、しかし一夜便所内にて閣氏を置き後ち取り出して顔を描けば何事もないといふ」と興味深い俗信を紹介しています。商品にはならない家庭での手作りとあって、洗練された造形ではありませんが、その地の人にしか作り得ない風格があり、小さな人形の世界に引き込んでいくような魅力を放っています。また、髪型、特に後方の髷を丁寧に豪華に作るあたり、日本の郷土の姉さまにも共通する女ごころが感じられます。

一方、こちらは『朝鮮玩具図譜』第二三図に紹介される「閑古鳥」。「クッキッキ」を呼ばれ、張子製の小鳥にリードつきの葦笛を作り付けたもの。尾崎氏は「桃色の肌に濃藍青色の翼及び斑紋を画き背に梅鉢形の稍白色(しょうはくしょく)を含んだ温かい黄色の斑点を打った様は李朝期の陶器木工等に見る味ひと共通してゐて民族性がよく現れて居る」と紹介しています。思い切って葦笛に息を送り込むと、ぴいー、ぴいーと少々寂しげな音が響きます。

戦前の朝鮮玩具の色々は、本国でも保存される例の少ないものと想われ、尾崎清次氏のまなざしとともに最大限の注意を払い、保存に努めたいと思います。「閣氏」や「閑古鳥」以外の品々も合わせ、また機会をとらえて展示させていただきますので、お楽しみになさってください。

(学芸員 尾崎織女)

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