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blog「雛まつり~まちの雛・ふるさとの雛」オープン!
■雅叙園の展示に引き続き、学芸室では、先週から今週にかけて、館内の春の特別展「雛まつり~まちの雛・ふるさとの雛~」の準備を行いました。
まちの雛・ふるさとの雛
■江戸時代の雛人形作りは、安永年間(1772-81)頃になるとやがて江戸へと飛び火し、大都市部の町衆たちの間に賑やかな雛まつりが営まれるようになります。京阪と江戸の好みは違っていましたが、都市部の雛人形は、それぞれの美意識によって意匠をこらし、技を尽くした美術工芸的なもので、町人たちが愛した人形であるため「まち雛」と呼ばれたりします。それは貴族社会で飾られる有職故実に忠実な雛人形とは異なり、庶民が胸に描く夢の世界の表現でもありました。
■大都市部の雛まつりはやがて地方の町々、農村や山村へも拡大し、それぞれの土地では、身近にある材料を使って非常に素朴な人形作りが盛んになりました。良質の粘土がとれる農村部では型抜きで土雛が作られ、反故の和紙などがたくさん出る城下町などでは張り子の雛が、また地方の町々では残り裂を利用して押絵で様々な人形が作られて初節句に贈答されました。江戸時代末期頃から昭和初期にかけて、日本という国には、土地ごとにユニークな雛飾りがあり、私達が想像する以上に豊かな雛まつりが行われていたと思われます。
■本展では、そのような雛の世界を展示室に広げてみました。福島県三春張り子の雛飾り、兵庫県氷上町の天神人形を上段にすえる土雛飾り、兵庫県関宮町の土雛飾り、広島県三次の天神をずらりと並べる土雛飾り、大分県日田の歌舞伎の名場面を押絵人形に仕立てた雛飾り……などなど、「えっ?!これが雛飾りなの?!!」と意表をつかれるふるさとの雛人形が勢揃いしています。なつかしくご覧下さる方々がおられる一方、若い世代の方々の目には土俗的な人形表現の中に斬新なものを感じていただけるのではないかと思います。
ランプの家のお雛さま~阪神淡路大震災の被災地からきた雛たち
■さらに、阪神淡路大震災から20年にあたり、「ランプの家」には、被災地から寄贈を受けた雛人形を数組、展示いたしました。
■ 1995年、被災地の間近にあって、多くの博物館学芸員が文化財レスキューに動き始めた早春、玩具博物館にできることは何だろうと話し合い、新聞各社のご協力をいただいて、「家屋の倒壊や転居などで保管できなくなった節句飾りのひきとりをします」と呼びかけました。失われる人形たちの生命をなんとか次代へつなぎたいと考えたからです。トラックで運んで来られる方、段ボール箱に泥だらけの人形を詰めて送ってこられる方、お電話をいただいて私たちが引き取りにうかがった方―――年末までに、その数は200件に及びました。
■「カタストロフィというにふさわしい状況の中でも、日本人は人形を救けようとするのか?!!なんて心優しい人たちなんだろう!!」――当時、ブラジルへ「日本の伝統玩具」の展覧会をおもちしていたのですが、サンパウロやクリチーバやリオの人たちは、被災地から引き取った雛飾りの前で目を真っ赤にして、そんなふうに日本の文化を評価して下さいました。
■あれから20年――来る日も来る日も人形の泥を落とし、ひび割れを直し、衣装を筆で洗い、「ランプの家」に洋燈をともして、深夜まで館長と人形の整理に明け暮れた一年、あのときの気持ちを想い起こしています。寄贈者の了解を得て、ドイツやスイス、ブラジル、アメリカ、中国・・・などなど海外の玩具博物館へ再寄贈したり、近隣の幼稚園や介護施設などへも再寄贈をしたりしましたが、手元には雛飾りだけで100組ほどが残されました。武者飾りは50組ぐらい残りました。
■毎春の雛人形展では、それらの中から、企画にあわせて、おでましいただいてきたのですが、20年の節目にあたる今春は、当時、整理作業を行ってい たランプの家に特別に思い出深い人形たちを展示し、ご高齢になられた寄贈者の方々にお見せできたらと思っています。
■激震地から届いたひと組は、段ボールを開けたら土まみれでした。亡きおばあさまの形見の人形だから、どうしても救けたくて、倒壊した家屋の下から掘り出したと伺いました。出来る限り綺麗にしたのですが、状態がよくないため、一度、展示したきり。19年ぶりのおでましです。こちらは4月3日までの展示とさせていただきます。
■こうして、日本玩具博物館の雛まつりの準備が整いましたので、早春の情趣あふれる玩具博物館へお出かけ下さいませ。たくさんの雛たちとともにお待ち致しております。
(学芸員・尾崎織女)
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