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学芸室から 2024.08.08

<見学レポート>「七夕さんの着物」ロードをつなぐ

かつて塩田で栄えた兵庫県姫路市の妻鹿、白浜町、八家、東山、的形町、大塩町を経て、高砂市の曽根町に至る播磨灘沿岸域、また銀山で栄えた山間部の町、朝来市生野町に「七夕さんの着物」あるいは「七夕さん」と呼ばれる紙衣が伝承されていることは、本ブログでも繰り返しご紹介してきました。


長方形の色紙や千代紙を二つ折にして袖や身ごろを切り出し、襟元はV字に切り込んで「ヒトガタ」のごとく、三角形の頭部を作り、色を違えた帯を結んで完成させます。地域により、家庭によって、着物の大きさや作り方の細部は異なりますが、着物の色、袖の長さ、帯の結び方などに男女の違いを意識したものが目立ちます。8月6日、子どもの居る家では、軒下に立てた2本の笹竹飾りの間に竹を渡すと、そこに数枚の「七夕さんの着物」を吊るして飾り、下に小机を置いて初物の野菜や七夕のご馳走を供えます。子どもが誕生して初めて迎える七夕は特に賑やかで、親類縁者が「七夕さんの着物」や提灯を贈り、これらを何段にも飾り付けます。7日の午前中にはすべて外され、昭和30年ころまでは市川や八家川などに流されていました。「七夕さんの着物」をたくさん飾ると、祝われた子どもが一生、着るものに不自由しないと伝えられています。


昭和42~3年ころに当館の井上重義館長が播磨灘沿岸の町々に伝わる「七夕さんの着物」を発見し、広く紹介したことで、その存在が広く知られるようになりましたが、昭和後期から平成時代を経て、自然環境や生活様式の変化、また少子化によっても、七夕に限らず、近世末ころから伝承される多くの郷土文化は退潮の一途をたどっています。


それでも、伝承を受け継ぎ、町のつながりを深めるきっかけとして、地域の節句まつりを大切にしようと取り組み続ける町があり、季節の情感に満ちた催事を復活させようと活動を始めた町があります。今夏は、新暦七夕の朝来市生野町、月遅れの七夕を祝う姫路市糸引校区と大塩町にお邪魔しましたので、その様子を少し報告いたします。今は、それぞれに公民館や町づくりセンターなどの施設、そこに集われる方々が中心となって活動しておられます。それぞれの地区では、少しずつでも家庭へと拡がっていくことを願って――。


生野の七夕
生野町に伝承の「七夕さん」が戻ってきたのは平成10年代のこと。そのころから度々訪問させていただき、七夕以外でも種々の季節行事をご一緒することもあり、様々な思い出を重ねてきたこともあって、生野は私にとって、親しい方々が暮らす大好きな町です。

生野まちづくり工房 井筒屋(旧吉川邸)の七夕飾り

新暦七夕に生野をお訪ねするのは5年ぶり。すきま時間での訪問だったため、大急ぎで町をめぐり、井筒屋(旧吉川邸)やミュージアムセンター(旧浅田邸)の七夕飾りを見せていただきながら、スタッフの方々に最近の状況についてお話をお伺いしました。生野には、武家などの七夕棚の構図に近い七夕飾りが幕末ころから伝わり、本物の着物を簡素にした千代紙製の「七夕さん」を笹飾りに竹や苧殻を渡して並べ飾る様式が見られます。生野では「七夕さんの着物」と呼ぶ方は少なく、「七夕さん」「七夕人形」「七夕の雛型」など様々な呼び名で親しまれてきました。夏越の祓のヒトガタのごとく、襟元から三角形の頭が作られているため、人形(あるいはヒトガタ)と着物のダブルイメージでしょうか。
今年は美しい皆田和紙(兵庫県佐用町皆田地区の特産)を使った小さな「七夕さん」づくりのワークショップも開かれ、大好評だったと伺いました。新暦七夕は梅雨の最中とあって、中庭に面した部屋のなかに飾られるご家庭が増えているそうで、今年、町並のなかで拝見できる七夕は少なかったようです。

口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)の七夕飾り


糸引校区(東山)の七夕
松原八幡神社(姫路市白浜町)の秋季例大祭「灘のけんか祭り」への参加地区のひとつである東山には、祭礼でのつながりもあってか、白浜町や八家、妻鹿などとともに「七夕さんの着物」を飾る七夕が伝承されてきました。東山の着物は、前身ごろに切り込みが入っていることや2本の笹飾りにトキワススキを渡して着物を並べ飾ること、また、集める野菜やその供え方も特徴的です。若い世代にはほとんど知られていないため、今年は東山を含む糸引校区の公民館企画によって、8月3日、七夕飾りの復活を願う講座がもたれました。
私もその講座にお招きを受け、七夕の歴史や七夕行事の地域色についてお話しさせていただきました。その後、公民館の皆さまが準備された美しい友禅柄の和紙を使って、参加者がそれぞれに着物を切り、ともに協力して七夕飾りを立てるワークショップも開かれました。懐かしい!とおっしゃる方々、こんなの初めて!!と喜ばれる方、活き活きと和紙を選ぶ子どもたち、三世代が集い、みな、活き活きとして着物を切ります。講座のあと、参加の子どもたちが口々に「お家帰ったら、七夕さん飾りたい!絶対飾る~」「お母さんの分を作ってあげて、たくさん着物を並べたい!」と話す様子に接し、希望の灯が点されるようでした。


大塩の七夕
8月7日は、大塩町の生活文化の継承に取り組んでおられる「大塩―大きな縁の会」の皆さんのもとへ出かけました。七夕復活の取り組みを始められた2020年秋から、ご一緒させていただいているのですが、40代、50代の働き盛り世代が中心に動かれているため、時間のやりくりもたいへんなことと想われますが、エネルギーが強く大きく、魅力あふれる町です。
立秋とは名ばかり。じりじりと焦げ付くような日盛りにあって、縁の会の皆さんがあちらこちらに立てられた大塩らしい七夕棚がとてもさわやか。大塩公民館へは昔ながらの「あらかして(幸せにあやからせて…の意か)」の言葉とともに、三々五々、子どもたちがお菓子をもらいにきていました。6日の夜、子どもたちの西瓜割りや科学館の学芸員氏による七夕星の観望会ももたれ、大盛況だったと伺いました。

近い将来、生野から玩具博を経由して、糸引、大塩、高砂市曽根町まで、「七夕さんの着物ロード」をつなげられた嬉しいね…」と縁の会を支える皆さんと話し合ったことです。ただ、問題は近年の夏の暑さですね!

(学芸員・尾崎織女)

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