おもちゃ館の夏休みその2の2 経木モールの聞き取り調査 | 日本玩具博物館

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学芸室から 2018.09.02

おもちゃ館の夏休みその2の2 経木モールの聞き取り調査

―――夏休み最終週、必死に仕上げた自由研究を思い出しております。

この8月、日本のクリスマス産業の歴史とともに経木モールの実物手がかりについて、訪ねたのは、クリスマス用品の製造、販売を行っている姫路市野里の中城産業株式会社さん(昭和22年創業)、神戸市の神戸産業株式会社さん(昭和10年に創業)、そして丹波市柏原町のTさんとKさん。中城産業さん、神戸産業さんとは、1990年代にクリスマス工業協会として、3mの特大ツリーを寄贈いただいたご縁があります。


中城産業さんのお話
 社長の中城秀蔵氏と商品デザインを手掛けられている弟の中城立史氏によると、明治33(1900)年生まれの祖父、中城勇蔵氏が、上海で貿易商社に勤めた後、帰国後に中城産業を創業し、クリスマス製品を製造、輸出を始めたのが始まりだそう。姫路の工場にもよく海外のデザイナーやバイヤーが来て、商談していた様子を秀蔵氏は覚えていらっしゃいました。先進的なお祖父さまの背中を見ていたお二人のお父さまは90年代にいち早く、ホームページを作成し、ネット通販をはじめたり、日本のクリスマス産業の歴史についてお祖父さまから聞いたお話もまとめていらっしゃいました。
 その中に経木モールが柏原で作られていたという話がでてきます。しかしながら戦後に創業した中城産業では、経木モールは扱っておらず、どのようなものであったかまでは、今となってはわからないようです。するとお話の中で立史氏がモールの作り方を教えてくださいました。同じ長さの細い紙や糸を並べて、真ん中を針金で固定し、両端をねじると簡単にモールが作れるそうです。これはクリスマスツリーのひとつひとつの枝の作り方とも同じだそう(!)で、紙を経木で作ると、“経木モール”ができるのではないかということでした。

  

神戸(かんべ)産業さんのお話
 戦前にいち早くクリスマス製品に特化して、製造、海外への輸出を中心に販売を始めた神戸産業。昭和60年ごろから輸入業にシフトし、現在は各国のクリスマス商品を国内で販売されています。会社に設置されているショールームでは、すでに今年の主力商品が並んでいました。そして創業から神戸産業が力を入れてきたドイツトウヒやカナダトウヒ、コーカサスモミ、ヨーロッパアカマツなどをまねて作られた各国のクリスマスツリーが集められ、イソップやグリムの童話の森に迷い込んだかのような感激を受けました。再現会長の神戸和男氏(昭和15年生まれ)と社長の神戸智氏(昭和42年生まれ)から、日本製ツリーの誕生と経木モールについて興味深いお話をお聞きすることができました。
 神戸の居留地でメッセンジャーボーイをしていた会長のお祖父さま(明治初期頃のお生まれ?)は、あるとき、クリスマスツリーを探してほしいという欧米の方々の依頼をうけます。クリスマスツリーが何かもよくわからないまま、見よう見まねで使ったのがなんと草のツリー!その後、草の中でもとくにマンネングサが適していることにき気づき、北海道十勝にまで赴き、マンネングサの採集を行っていたそう。このような経験が海外向けのクリスマス商品を扱う会社の設立につながったようです。
 戦後会社を再開した和男氏の父(大正前期生まれ?)は、資材がないなかで、草(マンネングサ)や経木モールを製造し、ツリーやオーナメントとして販売していたそうです。経木は岡山県高梁市や島根県から調達し、神戸で加工していました。経木モール専用のミシンを開発し、1立方メートルサイズの木箱が何箱も満タンになるほど、紙製のベルやオーナメントとともに北米を中心にヨーロッパにも輸出されていました。昭和25年プラスチックの誕生とともに経木モールは瞬く間になくなったそうです。残念ながら機械や経木モールも全て廃棄されてしまっていて経木モールを確認することはできなかったのですが、クリスマス商品製造と輸出に関わる戦後の歩みについて詳しいお話をたくさんお伺いすることができました。


柏原町でのT氏とK氏のお話
 柏原町では戦後経木製品は作られておらず、ご年配の方々でさえも経木の町であったことを知る人はほとんどいない様子。今回はまちのボランティアガイドも務めていらっしゃる柏原町の生き字引T氏と、お祖父さまが戦前の経木製品の製造に携わっていたというK氏からお話を伺いました。T氏は私たちの聞き取り依頼から独自に柏原町の経木工業についても調べてくださり、経木が作られていた明治の町の様子を実際に歩いてご案内いただきながら、柏原町の経木細工に関わっていた方々の足跡について教えてくださいました。
 また、K氏からお家に残されていた経木加工場や経木製作の様子、明治43 (1905)年に氷上経木同業組合として日英博覧会に出品した際の写真を見せていただきました。この博覧会に出された経木細工の中に、おそらく経木モールではないかというものが写っています! 
 昭和20年生まれのK氏が小学校1年生のころには経木の加工場は解体され、住宅にしていたということで、経木や機械、道具も残っていないということでしが、K氏は幼いころに工場で遊びまわる中で、すみに置かれた緑と赤で染色された経木モールを見た記憶があり、写真のようなものだったとおっしゃっていました。

K氏からご提供いただいた経木加工場の様子(明治40年ごろ)


今回お話をお伺いしたみなさま、ありがとうございました。それぞれにお聞きした貴重なお話や資料、写真から少しずつつながりを見出し、経木モール一つで日本の産業の歴史も感じることができるように思います。残念ながら、今回の聞き取り調査から、経木モールの実物を収集することはできませんでしたが、田中信清氏の『経木』(1980)によると、戦前の経木モールは柏原を中心に奈良県桜井市や、香川県などでも作られていたようで、そのあたりにもまた伺ってみたいと思っています。
 今後も引き続き日本玩具博物館として経木モールについての調査を進めつつ、日本のクリスマス文化を探っていきたいと思います。続報をお待ちくださいませ!

(学芸員・原田悠里)

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