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学芸室から 2013.10.28

秋に想う・その1~初めての美術展の思い出~

先週末、「世界のクリスマス展」をオープンしたせいか、季節がひとつ前へ動いたような感じがしています。「玩具博物館でクリスマスを過ごすのが毎年の習いです。」といわれる方々も多くなり、「クリスマス展を見に来るのは今回で14回目、15回目です。」などと話しかけてくださる来館者も結構いらっしゃり、皆で嬉しく思う昨今です。
数えて29回目の恒例展―――何度体験しても新たにめぐりくる春が嬉しいように、季節感にあふれるしつらいは、同じものを同じように飾りつけても、新鮮な喜びがあるものですね。 それでも、やはり、前年とは違ったイメージでお楽しみいただきたく思いますので、展示には必ず、新たな収集品を加え、切り口を変え、またレイアウトにも工夫を加えるよう努めています。そのためには、クリスマスをめぐる文化についての見識を高めていかなくてはなりません。ご来館の皆さまには、忌憚のないご意見を賜りますようお願いいたします。

世界のクリスマス展2013

初めての美術展

過日、友人とともに名古屋ボストン美術館の特別展「アートに生きた女たち」を訪ね、とても懐かしい絵に再会しました。私ごとで恐縮ですが、思い出話をお聴き下さいますか。

1979年、高校2年生の晩秋。美術部の親友とともに、朝早く姫路を発ち、京都市立美術館で開かれていた「ルノワール展」へと出かけました。 その頃は、新快速電車などなかったので、京都までは片道2時間20分ほど長旅でした。さらに京都駅から満員のバスに揺られて市立美術館前に着いてみると、そこは長蛇の列。1時間半待ちだと係の方のアナウンスがありました。ほど近い京都国立美術館の方は「ボストン美術館秘蔵のフランス絵画展」が開かれていて、そっちなら待たずに入れるとのこと。 私たちは、美術の時間に習った写実主義のクールベ、ロマン主義のドラクロワ、印象派のミレーやコロー、シスレーもピサロも、後期印象派のドガもセザンヌもいろいろな画家の作品が並んでいるそちらの方がずっと嬉しいねと、国立美術館へ行き先を変更したのでした。
自分たちの暮らす町に美術館も博物館もなかった時代です。友人にも私にも生まれて初めての美術館。生まれて初めて観る本物のヨーロッパ絵画でした。その雰囲気。その匂い。会場の熱気。何もかもが素晴しく、私は(たぶん、私たちは)興奮し、浮かれたように展示室をまわりました。
当時、少女らしい憧れで、私はコローの絵がとても好きでした。美術の教科書で習ったコローの絵はたった3枚だったけれど、そのコローの作品が7枚も展示されていました。“花輪を編む若い女”とタイトルされた絵の色調のなんとすばらしいことでしょう。私はぞくぞくし、くらくらし、もうその絵に長い時間、釘付けになっていました。
次に立ち止まって、いつまでも観たのがモリゾの“鉢の中の白い花”。当時、美術部で、白いマーガレットの油絵に取り組んでいたからです。 ああ、なんて爽やかで気持ちのいい色調だろう。花はリアル過ぎることもなく、どちらかというと、タッチはとても素朴。私にも真似て描けそうな白い花。でも、輝く白い花びらと背景のブルーは、とてもつくれそうにない…と、そんなことを思いながら凝視を続けたのでした。

売店で、展示品の図録やポスターが販売されていると知ったときの喜びといったら、歓声をあげて小躍りしたほどです。なんて、いいことをしてくれるんだろう! なんて、私の気持ちをわかってくれているんだろう! 美術館は何て素敵なんだろう! お小遣いをはたいて1800円の図録と300円のコローの絵がプリントされた小さなポスターを買いました。お昼ご飯も食べずに夕方まで居たと思います。帰りの電車の中では疲れ果てて黙り込み、友人はそのうち眠ってしまいましたが、私は図録とポスターがなくならないようにとしっかり抱えて離さず、一睡もできませんでした。

画像はそのときの図録です。“見たおす”“読みたおす”という言葉がぴったりくるぐらい、高校卒業するまで、毎夜のように眺めました。図録を開くときには、必ず手を洗って、手の汚れがついたと思ったときには、ちり紙をやわらかく揉んでから少し水をつけて湿らせ、それで本の表面を拭きました。その図録は“見たおし“たけれど、少しも汚れてはいないのです。やがて大学に入り、社会に出、下宿をし、結婚をし、引越しをして今にいたりますが、この図録は、本棚のいちばん自分に近い位置に置いてきました。美術館施設を好きになった原点だから。

この年齢になるまで、一年にいくつもの美術展を観続けてきたこともあり……一年平均、少なく見積もっても20展ぐらいは観ているから単純に掛け算しても約740展。ずっと続けてきた展覧会ファイリング、その数から推すと1000展は越えています……… そうやって、年ごとに増えるファイルとともに自分の中に細かに情報を集積してきたのだから、素人なりに、作品について色々な見方ができるようにもなりました。けれど、あの日ほどの感動をもって何かに接することは二度と出来ないようにも思います。 それが、芸術というものに対する少女らしく稚い、ただの憧れの感情であったとしても。

モリゾの“鉢の中の白い花” (「フランス絵画の巨匠たち~ボストン美術館秘蔵展~」の図録より)

過日の名古屋ボストン美術館では、高校2年生の晩秋に観たモリゾの“鉢の中の白い花”に再会できたのでした。「これまでにいったい、何億人があなたを見つめてきたのかな? あなたは枯れないまま、どれだけ多くの人の心に住んでいるのかな?」と話しかけてみました。いつまでも瑞々しい“鉢の中の白い花”は、「あれから30年以上の歳月が流れたなんてウソみたいね。」とまるで私を覚えているように小さく囁き返してくれました。

当館の庭のヨメナ

美術館や博物館での作品や資料との出合いが、その人のその後の人生にどんなに影響を与えていたとしても、それはすぐにわかるものではないし、ある人の思い出の中に燦然と輝く風景として刻まれ続け、その風景がその人の人生を支えていたとしても、それが目にみえて誰かに示されるものでもありません。ましてや数字でその大きさや豊かさが表現できるものでもないでしょう。けれど、美術館の作品や博物館の資料は、すでに誰かの人生の必需品になり得て久しいし、だから、モノをよいカタチで保存し、その価値を提示し続ける美術館や博物館は、当然、社会に守られるべき施設です。博物館活動に携わる者は、誰かの人生に関わりを持つかもしれない作品や資料をもっともっと愛さなくてはならないし、愛するためにはもっともっとよく知らなくてはならないと、モリゾの絵を見ながら、強く想ったことでした。

(学芸員・尾崎織女)

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