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学芸室から 2013.07.08

<見学レポート>大宮八幡宮の清涼殿「乞巧奠」

新暦の七夕まつりは、雷混じりの雨も降り、猛暑と言いたいような暑さでした。関東地方にお住まいの方々にはお盆の準備をなさっておられる頃でしょうか。

七夕に生まれ、織女星から(勝手ながら)名前をいただいた私は、子どもの頃から七夕が大好きです。十数年前から、この季節になると、各地に伝わる伝統行事などを訪ねては記録することを楽しみとしておりますが、今年は、八戸市博物館で開催の「世界の鳥のおもちゃ展」の準備を終えた後、東京に立ち寄って、杉並区にある大宮八幡宮の七夕祭りの様子を拝見してまいりました。
三年ほど前、その大宮八幡宮の清涼殿で、京都の冷泉家などが伝える平安時代の「乞巧奠(きっこうてん=技芸の上達を天の二星に乞い願う儀礼、しつらえ)」を再現する七夕飾りが行われていると友人を通して伝え聞き、新暦七夕の頃に東京へ行く機会があれば、一度拝見したいものと思っていたのですが、今回、実現してとてもうれしく、その様子を画像でご紹介したします。

大宮八幡宮清涼殿の乞巧奠
関東らしく真菰の七夕馬が供えられています

冷泉家が伝えておられる「乞巧奠」に比べると、大宮八幡宮のそれは、町家や農村に広がった近世的な七夕飾りがプラスされていて、より庶民的で親しみやすい印象を受けます。星を映してみる水桶の前に置かれたマコモの“七夕馬”がいかにも関東の七夕らしく、また、播州の七夕に親しんできた者としては“紙衣”が笹飾りに下がっていることにも興味を惹かれます。

笹飾りには紙衣がたくさん吊るされてます

七夕の衣は、織物の上達を願って天の織姫に捧げられるものです。あるいは、織姫に衣をお貸しすることで、一生困らぬほど着物に恵まれる・・・・・・近世の人々はそのように信じて七夕に着物や反物に関わる供え物を盛んに用いたようです。また、着物の雛型を縫って裁縫の上達を願うことも盛んに行われました。

大宮八幡宮の説明によれば、乞巧飾りにたくさん吊るした“紙衣”は、 江戸後期の浮世絵師・香蝶楼豊国の錦絵 「其姿紫乃写絵(そのすがたゆかりのにしきえ)廿五」を再現したものだといいます。錦絵を覗き込んでみると、川岸で、女性たちがヒトガタか衣のようなものを植物の枝に吊るし、何か文字を書こうとしています。「其姿紫乃写絵」を調べると、『偐紫田舎源氏・38編(柳亭種彦著/文政12~天保13年)』に当てて描かれたシリーズものの錦絵で、この絵は、24編の場面を描いたもののようです。そこで、24編に目を通してみたところ、その錦絵は、水無月の晦日、“夏越の祓(はらえ)“にあたって、難波江の田蓑島の斎場で、物語の人物“朝霧”たちが“禊(みそぎ)”をする風景を描いたものとわかりました。水際に斎串をずらりと立て、祭壇に麻の葉、ヒトガタが並べ置かれています。“朝霧”は麻の葉にヒトガタを結び、そこに“光氏”への返歌をしたためています。

「其姿紫乃写絵廿五」 香蝶楼豊国画 に描かれた紙衣(夏越の祓のヒトガタか?)

新暦であっても、旧暦であっても、どちらかに統一して行事をもつなら、6月30日の夏越の祓、7月7日の七夕、そして7月15日の盆は、一週間置きにつながっています。“紙衣”に、着物であると同時にヒトガタ的なニュアンスが含まれているのは、自然なことなのかもしれません。

大宮八幡宮では、伝統行事のエッセンスを引き出し、それを結び合わせて、新たな伝統を再構築しておられる・・・というような印象を受けました。境内では、 技芸の上達を願う“乞巧潜り”(夏越の茅の輪潜りに似ています)が行われ、また、紅白の紙衣と梶の葉、折鶴に五色の短冊を吊るした“乞巧守”が授与されていました。涼やかにさやさやと音のする“乞巧守”をふたつ享けて、とてもうれしく大宮八幡宮を後にしました。こちらの乞巧奠は、7月15日まで拝見できるそうですので、お近くの方は、ぜひ。

授与される「乞巧守」

館に戻ると、近くのアベマキの林からニイニイゼミの声が聞こえました。七月に入るなりのこの暑さ、皆さま、どうぞお身体ご自愛下さいませ。ひと月遅れの八月七夕には、去年と同じように、ランプの家の縁側で、播磨灘沿岸や銀山の町・生野に見られる七夕飾りを再現してみたいと思っています。

(学芸員・尾崎織女)

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