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学芸室から 2013.06.20

夏の特別展「中国民間玩具」の準備日記

6月13日

今日は旧暦端午節。中国民間玩具展の準備作業を始めました。「第二章*節日(節句と祭礼)の玩具と飾り物」のコーナーに春節や元宵節、清明節、端午節、そして仲秋節にちなむ玩具を展示したと思っています。端午節に登場する“虎”にまつわる資料をたくさん出してきました。

陝西省“虎の沓”

このかわいい子ども用の布沓は、陝西省のもの。おばあちゃんが孫の誕生日や端午節の祝いに手作りして贈られたものと伝わります。“端午の虎、五毒(百足・蝦蟇・蠍・蜘蛛・蛇)を踏みしめる”という言葉のとおり、蒸し暑くなり体調を崩しやすい悪月の厄除けに、虎の霊力が効果をもたらすと考えられたのでしょう。沓の裏には魔除けの刺繍がほどこされていて、民間信仰のカタチが感じられるかわいい資料です。

・・・日本も急に蒸し暑くなりました。旧暦で節句を考えると、病魔除けや邪気払いとして様々な行事がもたれていたことの意味がよく感じられます。

中国の端午節に想いを馳せていたら、台湾に暮らす友人が、端午節に行われる龍舟競争の画像を送ってくれました。長崎や兵庫県相生などに伝わるペーロン行事の源流―――爽やかな水の風景です。

台北郊外の町の龍舟競争の様子(※湊律子氏撮影)


6月14日

中国民間玩具展を準備中。――――今日は「第一章*戦前のコレクターによる中国東北部(旧満州地域)の玩具」のコーナーを準備しています。

尾崎コレクション「清朝時代の花嫁行列」

戦前のコレクターたちが北京で収集した風俗人形「清朝花嫁行列」です。
花婿が花嫁を迎える“迎親の礼”を映した行列風景――儀杖(=執事)、響器(=楽隊)、喜轎(=花駕籠)で構成された隊列です。婚礼は夜に行われ、花嫁を迎えるのは夕刻であったため、行列にはたくさんの提灯が掲げられています。
もともとは清朝の上層階級の習俗であったものが、民間へと普及し、戦前の北京では細々と伝えられていました。高さ7cmほどの泥人ですが、細部までよく作りこまれていて、賑やかな唢呐(=チャルメラ)の音が響いてくるようです。


6月15日

今夜は山東省の泥玩具(土製玩具)を展示しました。
1966年から約10年にわたる「文化大革命」の嵐とその後の混乱によって、伝統的文化財の多くが壊滅的な打撃を受けたと様々な書物で学びましたが、民間玩具においても、それは例外ではなかったようです。
1980年代に入って、農村復興政策とあわせて“民間美術復興運動”が展開されました。そのような中で、脚光を浴びたのが、黄河南岸の河南省で細々と命脈をつないでいた黒い泥玩具でした。それは、全体を黒く塗った動物や人物の土笛で、赤・黄・白・青(緑)で明るく彩色されています。笛の音色からの呼び名でしょうか、河南東部の淮陽では“泥泥狗(ニーニーグゥ)”、河南西部の浚県では“泥咕咕(ニークゥクゥ)”とそれぞれに総称されています。

河南省の土製玩具

どれもこれも土俗信仰に満ちて、おもしろい造形! 息を吹き込むと、クゥとかグぅとかいうより高くピッーと張りのある音があたり中に響き渡ります。


6月16日

展示作業も大詰めに入りました。展示室にこもりきりになって5日目。資料を運んできては、展示ケースの中と外を一日に百回以上は上り下りするので、そろそろ身体の節々が痛くなってきました。

浙江省の「蚕猫」

今日の一品は、浙江省の“蚕猫”。
江蘇省や浙江省など揚子江をはさんだ水郷地帯では、かつて盛んに養蚕が行われていたそうです。蚕を食べるネズミの害防止のため、ネズミの天敵である泥猫が脅しとして置かれていました。脅しにしてはかわいらしい表情ですが、両面に顔がついていて、後ろ側もなかなかの面構えです。
“蚕猫”は、長く廃絶していましたが、1993年、浙江省海塩で中国民間美術学会が開催された折、その記念にと復活させ、参加者に贈呈されました。なつかしい思い出の品です。
蚕猫の後ろ見えているのが、“養蚕神”。これも蚕室に祀られたもので、神様の足元に猫たちが鎮座しているところ、非常に愛嬌のある泥神様です。


6月17日

やっと展示作業が終わりました。今日はかわいい「麺花」の動物をご紹介します。

河南省の“麺花”

河南省沈丘の小麦粉で作った動物です。
中国の農村部では、生後一ヶ月の赤ん坊の“満月”の祝いに、小麦粉から様々な形に細工した菓子を贈る風習があるそうです。
河南省に伝わる童謡に、♪♪麺花児、麺花児、吃者好吃、拿者好玩……♪♪というのがあると聞きました。生後一ヶ月の赤ん坊はともかく、子どもたちはこんな食べ物を差し出されたら、どんなに嬉しいことでしょう!
ご紹介する小動物は、1980年代中頃に作られたもので、鑑賞と保存のために防腐剤が入っており、残念ながら? 食べることはできません。


6月18日

展示作業は終わって仮オープンしているのですが、中国語入りのキャプション作りなどに四苦八苦しています。

今日は、日本の“こけし”によく似た姿の“棒棒人”をご紹介します。。
ロクロ挽きの木の人形で、古くから山東省郯城県のものが有名です。戦前のコレクターも興味を持って収集しています。

山東省の“棒々人”

立った姿は“高棒々人”、座った姿は“低棒々人”と呼ばれ、男女一対に見立てられて、春節の露店で売られたりもしたようです。形だけをみると、東北地方の“こけし”と“えじこ”が並んでいるようで、不思議な共通性!!
解放前、棒々人は、村々をまわる巫祝(神に仕える巫女・みこ)がこれを耳に当てて神託(神の言葉)を聴く「耳報神」として使われていたという説もあります。ここにくると、東北地方に伝わる“おしらさま”を想い起こさせます。
    
民芸の世界に遊んでいると、互いに遠く離れていてもよく似た感性から生まれた造形物に出合います。そんなとき、深い深い土の中で根っこが一つにつながっているような気がして何だかうれしくなるのです。


6月19日

今夜は、1920年代の北京で作られた“毛猴「打牌的」”を見て下さい。猿が麻雀に興じている場面ですが、この猿はどんな素材から作られているでしょうか?

北京の“毛猴”

――胴体は辛夷(こぶし)の花芽。そして猿の頭や手足には蝉の抜け殻が使われているのです。なんとユニークな発想でしょうか!!
北京に伝承される民間玩具“毛猴”は、猿を登場人物として市場の風景や市井の人々の暮らしを繊細に表現するもの。こちらの猿たちは麻雀遊びに興じていますが、これ以外にもたくさんの種類があります。

1996年頃は、曹儀簡氏が製作されていましたが、今もお元気で励んでおられるでしょうか…。伝統工芸に指定され、製作者は国によって守られていると聞きましたので、受け継ぐ方が続いていくとよいのですが…。このユニークさは、他では見られないものですから。

北京の毛猴作者・曹儀簡氏と氏のアトリエ(1996年・井上重義撮影)


6月20日

いよいよオープンの準備が整いました。
第一章……戦前のコレクターによる収集玩具
第二章……節日の玩具と人形 
第三章……人形にみる中国風俗
第四章……芝居の玩具と人形
第五章……中国の泥玩具
第六章……中国の自然素材玩具
第七章……中国の布玩具
第八章……中国の木玩具
第九章……日中に共通する形
第十章……風筝・陀螺・ままごと道具・発音玩具
以上のような章立てで構成いたしました。
渾身の中国民間玩具展――ぜひ、お運び下さいませ。    

(学芸員・尾崎織女)

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