日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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館長室から 2013.09.12

嬉しいニュースと悲しいニュース

3号館の出口に植わっている萩の花が咲き始め、秋の気配が漂い始めました。今年の夏は猛暑続きの影響で来館者が減少した博物館が多かったと聞きます。当館も同様で、2割近くも減少、8月は約2,000人でした。

庭に咲いた萩の花

9月に入って雨の日が続き、さわやかな季節になって、やっと来館者の皆様にも落ち着いてご覧いただけるようになりました。

そんな猛暑のなか、しかも交通不便ともいえる当館に、今年の夏も遠方から大勢がご来館下さいました。感想ノートには、「フェリーに22時間乗り、青春18切符で来ました」と北海道の学生さん。「時間が止まっているかのような素敵な空間です。外の木に蝉が無数にとまっているのに驚きました」とインターネットで調べて来て下さった方。「博物館見学の手引きのレポート作製のために来ました。昔の日本のおもちゃから学べることは多くあると思います。世界のおもちゃと日本のおもちゃの違いから、文化についても学べる良い教材になると思います。小学生だけでなく、中学生も楽しい勉強ができるのではないでしょうか」と教員志望の学生さんが記されていました。ハンガリーから来館された方は「外国人にはこんな博物館が喜ばれます。もっとPRされたらどうですか」と嬉しいアドバイスをいただきました。

当館は立派な建物の中にスマートな展示がされている市立や県立の博物館と較べると、これが博物館かと思われる方も多いと思います。しかし、緑の中に日本の伝統的な土蔵が建ち並び、木造の展示ケース内に日本の玩具や世界の玩具が所狭しと並ぶ状況は、見学者に大きな感銘を与えます。こんなにすばらしい博物館だとは思わなかったと言って下さる方が多いのです。

嬉しいニュースは、数日前にフランスのプロヴァンス自然史博物館から荷物が届き、開けると中から出てきたのは『Japon,la passionDes insects 虫愛でる国、日本』という58ページの冊子でした。同館で開催中の特別展の図録で、同展については尾崎学芸員がブログ「学芸室から」2012年12月23日で紹介していますが、昨年の秋に同館から来館されて当館をご覧になり、その後、当館の所蔵品の貸し出し依頼があって31点の資料をお貸ししたのです。同展は昨年12月から今月29日まで開催されていますが、今年になってから貸し出した資料についての解説依頼があり、尾崎学芸員が執筆しました。図録ではフランス語と日本語で甲冑飾り、端午の節句の人形、虫かご、ちりめん細工など、当館の資料が12ページにわたり写真と文章で説明されています。日本国内では評価されることもなく、光のあたることが無かった資料の数々ですが、日本文化を紹介するものとして大きく掲載されたのは嬉しいニュースです。

悲しいニュースは昨日の新聞各紙に、「灘中・高『伝説の国語教師』橋本武さん死去、101歳」の記事が掲載されたことです。私にとって先生は恩師といえる方でした。私は灘高の卒業生ではありませんが、郷土玩具の収集を始めた50年前から郷土玩具についていろいろとご指導をいただき、正直、先生との出会いがなければ単なる趣味家で終わり、玩具博物館もなかったと思います。先生との出会いは昭和38年に日本郷土玩具の会に入会したところ、東京本部から神戸に熱心な収集家がおられるのでと、連絡いただいたのがご縁でした。その頃は神戸の魚崎に住んでおられ、早速にご自宅にお伺いしました。ご自宅には収集された膨大なコレクションが飾られ、初めて見る郷土玩具の色と形に大きな感銘を受け、庶民が作り上げてきたものが評価されずに消え行く現状を知り、これらを守り伝えるのは今に生きる私の使命ではないかとの思いが湧き上がりました。当時は山陽電鉄の車掌をしていたのです。そんな私なのに、奥様の手づくりの夕食を再三ご馳走になり、今から思うとお忙しい先生であったと思うのですが、気安く時間を取っていただき、ご指導いただきました。それが今の私に繋がっています。

祝賀会で先生からのお言葉に感激。

開館20周年記念誌に先生は、「人生いろいろ」と題してご寄稿くださいました。「私は『灘』という私立の学校に就任できたおかげで、50年もの間、自分の好きな仕事を、好きなだけ、好きなようにやることができ、退職してからも、今までの続きで、好きな仕事を当然のように続けてきた。・・・本職とは別に、いわゆる趣味の道にも頭を突っ込み手を染めて、かなり熱を上げてきたのが十指に余るほどある。遊び半分にやることとはいえ、時間もくうし労力も馬鹿にならず、かなりの出費も覚悟しておかねばならぬ。しかし本職と趣味とでは、天秤にかけてみるまでもなく、本職をゆるがせにはできないから趣味に徹しきれるものではない。・・・この大きな壁をぶち抜いたらどうなるか、ぶち抜いた後どのようでなければならないか、その絶好の姿をみせてくれたのが、わが忘年の友、井上重義君その人である。・・・歌謡曲の歌詞に『人生いろいろ』とある。だから人生は面白いといえるに違いないが、日本玩具博物館というユニークな博物館を趣味から出発しながら、グローバルな視野に立って独力で創建し、自由闊達に活躍しておられる井上重義君に心から敬意を捧げ、今後のさらなる発展を念願せずにはいられない。」と励ましのお言葉をいただきました。
先生は「自分がいいと思うやり方を見つけて、それを迷いなくやり遂げていって欲しい。自分がこうだと思うものを見つけて進んで欲しい。誰かのマネをする必要もない。とにかく自分がやりたいことをやる、ということが大切だ」と話されていましたが、私はそれを実践してきたと思います。
2007年に私は「地域文化功労者文部科学大臣表彰」を受賞しました。翌年1月19日にはその祝賀会が開催され、先生は95歳の高齢にも係らずご出席くださり、温かい励ましのお言葉をいただいたのも忘れがたい思い出です。
先生が収集された郷土玩具コレクションは阪神大震災後に引取り、当館で大切に保存しています。
先生、どうぞ安らかにお眠りください。

(館長・井上重義)

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