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blog中国民間玩具研究者、李寸松氏を偲んで
■ 3月の声を待ちかねたかのように、当館の庭には万作や梅の花、地上に目を凝らすとユキワリイチゲや福寿草など早春の花々が咲き競い、このところ「雛人形展も素晴らしいが庭のお花の数々にも感動しました。本当に来てよかったです」と何人もの方から喜びの声をいただきます。スタートした世界のミニチュア玩具展の評判も上々で喜んでいます。
■ さて数日前、中国の北京から大きな荷物が届きました。この1月に84歳で逝去された中国民間玩具研究者の李寸松先生のご遺族からで、先生のご遺言によるものでした。チベット族の立派な布絵仏画(タンカ)の掛軸で、玩具というよりも貴重な芸術作品です。大切に保存し活用させていただきたいと考えています。
■ 李寸松先生は中国の民間玩具(郷土玩具)の復興や評価を高めるために大きな貢献をされた方です。1927年生まれで1948年から中国各地の玩具や人形などの収集をされ、中国の民間玩具に関わる数多くの著書があり、中国美術館研究員をされ、民間玩具研究の第一人者として有名な方でした。私が先生を知ったのは1981年に京都の美の美から翻訳出版された『中国郷土玩具』によってです。初めてお出会いしたのは1993年秋に浙江省で開催された中国民間美術学会大会でした。翌年の1994年には東京の日中友好会館で「中国民間玩具の世界」展が開催され、その監修に来日された際に当館に立ち寄って下さったのです。
■さらに2年後の1996年の秋。当館で所蔵品による「中国の伝承玩具」展を開催することになり、ご覧いただくと共にご講演もと考えて招聘したところ、それが実現しました。先生には2回も当館にご来館いただき、今から考えれば夢のようです。その後、北京のご自宅にもお伺いして交流が続きました。先生からは貴重な中国の民間玩具の数々をご寄贈いただき、当館の中国の伝統玩具コレクションの充実に大きなご協力をいただきました。感謝と共にご冥福を心からお祈り申し上げます。
(左から尾崎学芸員、北京からの通訳、李寸松先生、私)
■先生が始めて当館に来館下さったときに尾崎学芸員と共にお話を伺い、先生の民間玩具(郷土玩具)に対する考えや当館をご覧になった感想を伺い、当館館報『おもちゃと遊び』13号(1994年6月刊)に「対談」として掲載しましたが、その言葉はいまも色あせずに生き続けています。そのいくつかを紹介いたします。
■「古くから伝わる民間玩具には、芸術的な観点からみても現代芸術の栄養となるような、素晴らしい要素が詰まっています。民間玩具の抱える世界は、芸術の母親的な存在であると思うのです。アフリカやアジアの民族工芸がピカソやマチスに深い影響を与えたように、民族的な工芸は、近代芸術を生み出す母体となるものです。ですから、民間玩具は子供が遊ぶ道具であると同時に芸術品として評価したいと思います。民間玩具を作ってきた人たちは、確かに無名の庶民にすぎません。しかし、こうした素朴な玩具を偉い芸術家にお願いしても作れるものではないでしょう。中国の民間玩具には、中国人民の暮らしの中から生まれた願いや価値観や美意識がこめられ、中国民族の風格というものが溢れています。『民族の風格』は、一人の偉大な芸術家が生み出すものではなく、多くの人間が長い歴史の中で作り上げるものではないでしょうか」。
■李先生は海外からも招聘され、広い見識をお持ちでした。先生の当館の印象をお聞きしたところ、「所蔵品の豊富さに感銘を受けました。『民族玩具の宝庫』にやって来た、というのが第一印象です。これまでにロシアやフランスの玩具博物館を見学しましたが、こちらの博物館が一番すばらしい。とにかく、広い『世界というフィールド』で収集され続けてきた井上先生と日本玩具博物館を心から敬服します」。「日本玩具博物館は、姫路地域の『輝く真珠』であるばかりか、日本の宝石になる可能性を秘めた博物館だと感じました。将来的には、世界に向けて大きな影響をもたらすだけの潜在的な力を持っていると思います。個人の枠での博物館経営というのは大変だと思いますが、どうぞ、芸術家や多くの人の理解を得て、ますます博物館の評価が高まっていくことをお祈りしています」と、示唆に富んだ励ましのお言葉をいただきました。それをしっかりと今も胸に刻んでいます。
(館長・井上重義)
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