開館満35年を迎えて・・・ 博物館の使命とは   | 日本玩具博物館

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館長室から 2009.11.10

開館満35年を迎えて・・・ 博物館の使命とは  

入口の野地菊が咲きました。
本日、当館は開館満35年を迎えました。1974年11月10日に新築した自宅の一部約47㎡を展示室にして、私が収集した5千点の郷土玩具で出発しました。それが6棟700㎡の展示館と8万点を超える資料を所蔵する博物館として大きく育ちました。厳しい環境を乗り越えて、よくぞここまで来れたものだと、感慨深いものがあります。暖かく見守り支えて下さった大勢の皆さまに、心からの感謝とお礼を申しあげる次第です。

当館が開館した1974年当時、兵庫県内の博物館施設の数は約40館でした。最も古いのは1931年開館の白鶴美術館。次いで50年開館の有年考古館と黒川古文化研究所、60年に菊正宗酒造記念館、64年に滴翠美術館、66年に兵庫陶芸館、69年に丹波古陶館、71年に香寺民俗資料館、72年に香雪美術館、74年に当館と高砂美術館と続き、いずれもが民間施設で公立館は十数館でした。  
自治体が競うように博物館施設を造るのは1980年代になってからです。1979年に大平首相が施政方針演説で「文化の時代」の到来に言及して以来、これからは文化の時代だと、県内各地で競うように博物館施設が造られました。1982年に神戸市立博物館、83年に姫路市立美術館と兵庫県立歴史博物館、85年に加古川市総合文化センター、89年に赤穂市立歴史博物館と竜野市立歴史文化資料館、91年に明石市立文化博物館と芦屋市立美術博物館、その後も続々と造られ、現在県内の施設数は120館を超えます。いずれもが巨費をかけた素晴らしい施設です。
それが現在、公立館の多くが予算がないと収集費を削り、経費の節約や効率化を理由にいくつかの館に指定管理者制度が導入され、民間企業に運営が任されました。それに入館者数を増やすことが最大の課題となれば、市場原理に走っているといわれても否定できないと思います。
現在の博物館界の状況を考えれば、民間や公立(公設)館といった設立母体にかかわらず、「その館がどのような目的を持って造られたのか。どのような使命を持ち、どのような活動をしているか」が検証されるべきではないでしょうか。

私は開館以来、博物館のあるべき姿を追い求めてきました。そしてその最大の使命は「消え行く文化遺産を収集し、後世に伝えるためにある」と考えて実践してきました。誰かの真似をしたり、話題のものを収集するのではなく、私なりの視点で、子どもや女性のもので忘れられ消えようとしている大切なものを精力的に収集し体系化してきたのです。これまでにも何度か当「館長室から」で申しあげてきましたが、収集にはタイミングが必要です。消え行く寸前に多くのものを収集し、当館でないと見ることができない幾つものコレクション群を築きました。それらは当館が集めていなければ散逸し、消えていたでしょう。それが人を惹きつけ、感動させる大きな力になったのです。 博物館の価値は、収蔵品と企画力(人)とで決まるのではないでしょうか。
先日も来館者から「たばこと塩の博物館でこの館のコレクションを見て以来、ぜひ一度訪ねたいと考えていました。思った以上に素晴らしい博物館で感動しました。念願が叶い来てよかったです。」と嬉しいお言葉をいただきました。
昨日、NHK教育TVの「美の壷」の取材がありました。6号館で開催中の「世界のクリスマス物語」の展示品である各国のクリスマスツリーの飾りを紹介したいと、東京からわざわざ取材にお越し下さったのです。放送日は12月18日。少し先ですがお楽しみ下さい。

NHK教育YV「美の壺」取材風景 解説する尾崎学芸員

35年間を振り返って、思うことがいくつかあります。私は利を生むことを目的に活動したことはなく、文化遺産を後世に遺すのが博物館の最大の使命であるとの認識を基に活動してきました。しかし民間施設というだけで、営利目的と見られることが何度かありました。確かに当館は今も私の個人経営で資料も私有財産です。青色申告をしており、個人商店と同じです。20数年前に登録博物館を目指して財団法人化を考えましたが3億円必要といわれ、そんな大金は用意できる筈もなく諦めました。世話になっている税理士から有限会社の設立を勧められましたが非営利組織の博物館に営利法人はそぐわないと考えて現在まで個人経営できたのです。幸いにも先般の法改正で300万円の基金があれば財団法人化が可能になり、検討をしています。

当館が所在する香寺町が姫路市と合併してから3年余が過ぎました。心配なのは合併がプラスにつながらず、入館者数は上向かず、年間入館者が3万人を割り込む厳しい状況が続いています。合併後、姫路駅前から姫路城・姫路市立美術館・県立歴史博物館を経由して香呂駅前に至り、柳田國男の生家がある福崎行きの神姫バスが、合併前の1日14便から僅か4便に減少。香呂駅前の弁当屋も、駅近くの喫茶食堂も閉店、近くの香寺民俗資料館も館長が亡くなられて以来、閉館状態です。地域力の減退が入館者減に繋がっていると考えられるのです。
当館は文部科学省から博物館相当施設として認められた社会教育施設ですが、不思議なことに合併後、姫路市の教育委員会や博物館に関係するセクションからの接触は未だありません。まさかと思うのですが、私立イコール営利施設とみなされているからでしょうか。
民間の美術館博物館の多くは、箱は貧弱でも公立館に負けない貴重な文化遺産を所蔵しています。ところが私立館にたいする行政の支援はゼロに等しく、厳しい環境のなかで当館と同年に開館した私立高砂美術館が数年前に閉館し、滴翠美術館など、活動を休止している館が増えています。それは地域力や文化力の低下につながり、社会的な損失であると言えないでしょうか。
民間博物館の所蔵資料は、私有財産であっても地域社会にとってのかけがえのない文化遺産であり、いろんな意味での公共財産であると思います。民間博物館が所蔵する膨大な資料が地域社会にとって必要で、大切なものであると認識されるなら、社会も私立博物館の現状に目を向けて、ご理解とご協力をお願いしたいのです。
来館された外国人に再三聞かれるのは、「日本はお金持ちではないのですか。このような素晴らしい博物館に支援がされないのは、なぜですか?」という質問です。

(館長・井上重義)

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