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学芸室から 2017.08.05

当館「ランプの家」の七夕と三芳町立歴史民俗資料館・旧池上家(埼玉県)の七夕

旧暦七夕、ランプの家の七夕飾り

はや立秋が近づき、ひと月遅れの8月7日に七夕を祝う地域や家庭では笹飾りの準備をなさっておられることでしょう。典型的な播磨地方  の七夕は、2本の笹飾りの間に1本の女竹を渡し、そこに、色づき始めたホオズキ、やっと穂が出始めたイネ、初生りのカキ、クリ、イチジク、そしてナスやキュウリやトマトなど、畑の野菜をそれぞれ一対にして吊るすものです。―――「七夕さんはハツモン喰いやから…」と明治生まれの長老たちがよく話しておられました。それは、天の七夕の二星に捧げるものであり、秋の豊作祈願でもあり、また、江戸後期の文献の絵図と見比べてみると、かつての盆棚のしつらえによく似ていることから、祖霊迎えとの関わりも深いと考えられます。
そうした野菜をつるす七夕飾りに、塩田で栄えた播磨灘沿岸地帯、また銀山で栄えた生野町にのみ伝わる“七夕さんの着物”の飾りを加えて、今年もランプの家の縁側に七夕飾りを行いました。野菜と着物の合体した七夕飾りは、昭和30年代頃までは市川沿いの町々に見られたものです。

ランプの家の縁側に播磨地方の七夕飾りを展示しました
実りはじめた畑の野菜をとり、棕櫚の葉を裂いたものやカラムシの茎からとった繊維で一対に組み合わせます。

来館者は、「子ども時代に見た縁側の風景、風や匂い、家族の顔・・・それらが今、ふっとよみがえりました」と懐かしい目をして話されます。自然環境、住環境が変わってしまい、なかなか触れ合える機会のないものとなってしまいましたが、子ども時代に初めて出あった風景が家庭や社会の温かさとともにいつまでも心に残されていくことを思えば、季節感あふれる伝承の風景を毎年、つくり続けたいと思うのです。  

埼玉県三好町・旧池上家の七夕飾り

昨年のひと月遅れの七夕は、さいたま市の大宮地区子ども会連合会からのお招きを受け、「江戸時代のおもちゃのワークショップ」に出かけたのですが、その明くる日、ご縁あってマコモ馬が飾られる七夕風景に出合うことが出来ました。

三芳町立歴史民俗資料館・旧池上家の七夕 “ホシイワイ”のマコモ馬

埼玉県入間郡三芳町立歴史民俗資料館が管理される旧池上家は幕末期に栄えた豊かな農家。美しい茅葺き屋根の旧池上家では、この地域に伝えられてきた四季折々の生活文化が動態展示されています。

三芳町立歴史民俗資料館・旧池上家

資料館の解説によると―――かつて、この地方の七夕は“ホシイワイ”と呼ばれていました。8月7日に笹飾りが立てられ、軒先には近くの水辺から刈り取ったマコモ(真菰)で作った一対の馬が飾られました。マコモは庭先に10日間ほど干したものが使われます。頭をもたげた牡馬と首を低くのばした雌馬の一対を天の二星に捧げます。七夕が終わると、子ども達がしばらく遊んだあと、天の川に届くようにと祈りながら、屋根の上に投げ上げてそのまま置かれたそうです。縁側には畑で採れるナスやキュウリ、西瓜、トマトなどの野菜を箕に入れて、小麦饅頭とともに供え、作物の豊作が願われました。 “七夕は朝まんじゅうに昼うどん” といわれ、七夕の日は、身体の疲れをのぞき、しっかりと休息をとる農休日でもあったということです。

マコモ(真菰)を束ねたリ編んだりして作られたマコモ馬(向かって右が牡馬・左が雌馬)

二十数年前、横浜市の根岸競馬記念公苑・馬の博物館の特別展『わらうま―その民俗と造形―』(昭和63年)の図録の中に旧池上家の七夕飾りをみた時から訪ねたく思っていました。今では、資料が把握されている限りにおいて、マコマ馬を飾って七夕を祝う家庭は残っていないそうです。けれど度々、ワークショップが計画され、次代への伝承が図られていますので、町内に分け入ってみると、習い覚えた方々がマコモ馬を飾って七夕の夜を過ごしておられるかもしれません。時代が移り変わっても、ぶれることなく博物館活動を続けておられる三芳町立歴史民俗資料館の存在をうれしく思ったことです。今年も三芳町を訪ねれば、カンカン照りの空の下、茅葺き屋根の軒深く、涼しげな“ホシイワイ”の風景に出合えることでしょう。

(学芸員・尾崎織女)

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