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学芸室から 2008.11.22

近世的な造形~「諸国牛の玩具めぐり*牛の郷土玩具と天神さん」展より

北九州市立小倉城庭園での「ちりめん細工・春の寿ぎ展」(12月13日~2009年3月8日)の準備に加え、12月刊行予定の『伝承の裁縫お細工物~江戸・明治のちりめん細工』の編集作業や、1号館での企画展準備などが重なって館に籠もりきりで過ごすうち、ふと気付くと、あたりには冬の匂いが立ち込めていました。

来年の干支は己丑。今日から1号館の冬の企画展「諸国牛の玩具めぐり~牛の郷土玩具と天神さん~」が始まり、緋毛氈の上にずらりと並んだ小さな牛たちがお出迎えしています。年賀状の図案の参考に、と絵筆をもって来館される方もあり、早くも年末ムードに包まれる館内です。

干支の動物を題材にした冬の企画展も恒例となりましたが、今回は、明治初年から大正時代にかけて作られた郷土玩具の大御所を数多く展示しました。12年ぶりに登場する牛もあれば、収蔵ケースの奥深く眠り、初めて光が照らされる貴重品もあります。井上館長が若い頃に収集したもの、大正時代や昭和初期に活躍したコレクターから寄贈を受けたもの……、一見、形も色も同じように見えますが、それぞれに風格があり、じっと対話していると、強い生命感がこちらに向かって流れ込んでくるような気がします。

農業国であった我が国のこと、農作業に大きな役割を果たした牛が、いかに大切な存在であったかは、各地の郷土玩具の中に、重いほどの米俵をのせた牛の意匠が数多く存在することによっても知られます。農耕神の使いとされる牛に、豊作のシンボルを組み合わせることで、豊かさへの願いが託されたのでしょう。

また、牛の郷土玩具の中には、瘡(くさ=腫瘍状のできもの)除けに効果があるとして求められるものも各地に見られました。特に、江戸時代から明治初期にかけて猛威を振るった疱瘡(ほうそう=天然痘)は、高熱にみまわれ、腫瘍状発疹が全身を覆う伝染病ですが、かつては疱瘡神が人にとりつくことで発病すると考えられていました。疱瘡神は、「断れない客」のようなもの。うまく神をもてなして軽く済ませてもらおうと、疱瘡神が好きな赤で彩色された玩具が病室に置かれたりもしました。「会津張子の赤べこ」などは、疱瘡に罹った時に出来る瘡(くさ=草)を牛に食べてもらい、早く全快するようにという願いが込められた造形です。

大正末期の玩具研究家、故・尾崎清次氏から当館が寄贈を受けた数多くの資料の中にも戦前に作られた牛の玩具があります。小児科医であった尾崎氏は、昭和6年、『育児上の縁起に関する圖譜全3巻』(笠原小児保健研究所発行)を著し、収集した玩具の絵とともに一つ一つの縁起を付し、人々が玩具に何を求めていたのかを明らかにしておられます。この圖譜の中、「瘡(くさ)除け」を祈願する玩具として、「一文牛(京都府深草)」「四天王寺石神堂の臥牛(大阪市天王寺)」「高野寺内お牛さん(和歌山市)」「明泉寺の牛の絵馬(神戸市長田)」「日前国懸神宮内天神社の臥牛/津秦天満宮内麻為比神社の臥牛(和歌山)」の6種がとり上げられています。「高野寺内お牛さん(和歌山市)」の解説には、「堂に瘡の治るように祈願し、奉納したる一体を借り来って小児の瘡(腫瘍状のもの)のある部を撫で、神棚に祀り置けば、瘡治癒すといふ。癒ゆれば一体を添へ二体として奉納す。之は贖物の遺風ならむ。種類数種あり、此地方にて安産の祈願に用ふるものと同一のものも用ゐらる。」とあります。

展示風景……尾崎清次氏の牛の絵 『育児上の縁起に関する圖譜全3巻』より

牛形の瓦で撫でたから瘡(腫瘍状のもの)が治癒するなど、なんと無知蒙昧な……。――近代化には不必要な俗信だと日本人が過去に置いてきてしまったものが、展示室に並ぶたくさんの小さな牛の郷土玩具からは立ち上がってくるようです。
本展では、そのような視点をまじえ、郷土玩具を近世的な造形としてお楽しみいただきたいと思います。

(学芸員・尾崎織女)



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