日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

Language

ブログ

blog
学芸室から 2006.02.18

雛人形の表情細見

🌸雛人形展が始まり、館内はすっかり春の雰囲気に包まれています。家庭で雛人形を飾っておられるからか、個人の方からも館へはいろんな問い合わせの電話が舞いこみます。「雛飾りの供え餅はどうして菱形なの?」「お内裏様とお雛様の飾り位置はどれが正しい?」「雛人形が表現しているのはいったい何なのか?」「雛段に桜と橘の二樹が選ばれたのはどうしてか?」………などなど。雛飾りは、誰もが昔から親しみながら、あらためて考えると、疑問に思うことばかりなのだと思います。私たちもわかる限り、その疑問に答えていますが、聞かれる方々も答える私たちも、その「なぜ?」をさらに深めていく中で、雛まつりの本質にふれることが出来るのかもしれません。

🌸最近、「三人官女には年齢差があるって本当ですか?」という電話を受けました。大正時代頃に定まった飾り方マニュアルによれば、真ん中で「三方」を持つ座り姿(立ち姿もあります)が女官長、両脇で「長柄銚子」「加柄銚子」をもって立つ(座っている場合も)のが若い女官です。

展示中の三人官女(明治後期)

🌸では、ただ今6号館で展示中の資料の中から、明治時代の三人官女を細見してみましょう。確かに真ん中の女官長Bは、眉を剃って額に「置き眉」を作り、お歯黒を施しています。ところが、両脇の女官、写真Aの方は、口元から白い歯を覗かせ、眉も若々しい自然の状態です。対して写真Cの女官は、自然の眉の上にさらに眉を描き、お歯黒も見えています。

🌸お歯黒は、中世の頃から、成人式や結婚式などの女性の通過儀礼に結びついていました。江戸時代に入ると、お歯黒を行う年齢も13歳から17歳…と上がっていき、黒が変色しないことから、黒は不変、心変わりせず、という意味が込められて、結婚が決まると貞女は歯を黒く染める習いが生まれました。お歯黒の原料はヌルデの若芽などに出来た「虫えい(虫こぶ)」を粉にしたもので、タンニンという成分が多く含まれ、虫歯や歯槽膿漏の予防にも効果があったようです。

🌸一方、眉化粧はもともと公家の男女、武家では女性に見られたもので、ある程度の年齢になると未婚既婚を問わず眉を剃り、額に別の眉を描いたといわれます。一般庶民の女性においては、結婚して子どもが出来ると眉を全部剃り落とし、置き眉を描くのが習いでした。


🌸そのような習俗に照らして三人官女を見ると、Aの女官は宮仕えを始めたばかりの少女、Cの女官は結婚したばかりの若妻、そして真ん中のBの女官は、結婚し、子どもをもった年配の女性とも考えられます。明治初年、皇族や華族がお歯黒や眉化粧を廃止したとはいえ、明治時代を通じて、庶民の間でも、このような化粧は一般的に知られ、三人官女の表情の違いは、飾り祝う人々にとっても至極当然のことだったでしょう。初節句を祝う小さな女児が健康に成長し、やがて嫁ぎ、子どもをもうける……雛段の女官たちは、女児の人生の幸福を予祝する姿だったのかもしれません。

🌸三人官女のうち、真ん中の一人が年配の女性、両脇の二人が同じように若い官女であるセットも多くありますが、このような細やかな作り込みは、江戸から明治・大正時代の衣装雛には当たり前のように見られます。

三人官女(大正時代)眉化粧とお歯黒の有無をご覧ください

🌸三人官女に限らず、能楽を演奏する五人囃子の視線や口元の表情、煮炊きする仕丁の庶民的で大らかな感情表現なども、総じて古い雛人形たちの佇まいには、見る人の想像をかきたてる奥行の深さがあるのです。やがて百貨店などで一式揃い売りが始まると、残念なことに、雛人形はどこか、量産される消費財めいてきて、三人官女の年齢差はもちろん、どの人形もすべて同じ表情のものへと変わっていきます。

🌸当館の雛人形展では、ぜひ、人形たちの表情を細見していただき、その向こう側に漂う時代時代の人々の夢と対話していただけたら・・・と思います。

(学芸員・尾崎織女)

バックナンバー

年度別のブログ一覧をご覧いただけます。