展示・イベント案内
exhibition初夏の企画展 「ふるさとの武者人形」
- 会期
- 2010年4月24日(土) 2010年6月8日(火)
- 会場
- 1号館
■現在、端午の節句といえば、屋外に鯉のぼり、室内には甲冑などを飾って、男児の健やかな成長と幸福を願う行事です。端午の節句(節供)は、平安時代に中国から伝わったものとされていますが、時代を経るにつれ、日本人の季節に対する観念や信仰などを取り込んで発展していきました。そのはじめは、春と夏の節目に、人々を襲う邪気を払い、心身の健康を獲得するための行事だったようです。
■端午の節句は「菖蒲の節供」と言われるとおり、古くから菖蒲や蓬(よもぎ)が盛んに飾られましたが、これは香の強い植物に辟邪の力があると信じられたためです。また端午の頃は、農耕暦の中でも、田植えを行う重要な季節。鯉のぼりなどの大きな幟(のぼり)には、田に訪れる神を迎える招ぎ代(おぎしろ)としての意味を見ることもできます。鎌倉時代に入ると、武家の興隆の中で、菖蒲が「尚武」の語音と通じることから、菖蒲の節句は、男児の祝儀と結びつき、武家の将来を祝福する行事へと展開します。それが、江戸時代に入ると、男児の出世と幸福を願う庶民の節句まつりへと発展していくのです。
■江戸時代前期の頃は、家の門口の菖蒲兜、毛槍、長刀などの武具や幟を勇ましく立てる屋外飾りが主流でした。そこへ中期以降、武者人形などのつくり物を室内に飾る風習も加わります。後期には、屋外・室内飾りともに大型化し、都市の富裕階級は、豪華な飾り付で家の権勢を競い合いました。今日の節句飾りは、江戸時代に比べ、ずいぶん小型になっていますが、その様式化された飾り物の中には、古い時代の華やかな屋外飾りの要素を伺うことも出来ます。
■本展では、江戸末期から明治・大正時代にかけて、庶民の間に人気を博した人形飾りのいろいろです。金太郎、武者、力士等の人形が、土や紙など身近な素材を利用して量産され、かつての農村の五月を彩りました。加えて、座敷飾りや掛け軸飾り、鯉のぼりなども展示し、明治・大正・昭和の、素朴な節句飾りをしのびます。展示総数約300点。華やかで勇ましい展覧会です。
■展示総数 約300点
<ふるさとの武者人形>
江戸時代後期、豪華な衣装をまとった武者人形や甲冑飾りが都市部の裕福な人々のものとして発展を遂げて行く一方、封建色の強い各地の農村部などでは身近にある安価な材料を用い、自給自足的に武者人形が作られました。土製のもの、反故の紙を利用した張り子製のもの、家具類製作時にでる木屑に糊を混ぜた練り物製のもの、また木製や裂製のものなど、土地土地に独特な着想で製作され、郷土の人々に歓迎されました。これらは、武者飾りが画一化する前の個性的な人形で、日本の人形史上に魅力を放っています。
●金太郎
金太郎は相模の足柄山で山姥の子として生まれ、のちに源氏の武将、源頼光の四天王となった坂田金時の幼名。熊、鹿、猿などと相撲を好む金太郎は、全身が赤く、剛健な子どもの象徴として親しまれてきました。江戸時代末期になると、この土人形が全国各地で愛され、明治時代には、端午の節句人形の代表となりました。力強さの表現には、子どものが丈夫に育つようにとの願いが、金太郎の全身が赤い表現には、疱瘡よけや悪病払いのまじないとしての意味が込められています。
●武者人形
神功皇后と武内宿禰、楠木正成、牛若丸と弁慶、太閤秀吉と加藤清正、和藤内など、和漢の歴史物語、芝居などに登場する英雄、豪傑などを人形化したもの。江戸初期には、飾り兜を他の武具類や幟とともに屋外に飾る風習がありましたが、この飾り兜が武者人形誕生の母体となりました。武者の土人形は、江戸末期から明治・大正・昭和初期を通じて、全国各地で人気を博しました。
●虎
端午の虎は邪気を払う霊獣として中国でも篤く信仰されている動物です。剛健で堂々とした虎の姿に、理想の男児像を託して、西日本を中心に、端午の虎飾りが流行しました。首ふり虎のほか、加藤清正の虎退治に因んだもの、『国姓爺合戦』の和藤内と組み合わせたものなどが見られます。
<掛け軸飾り>
掛け軸に、節句飾りの様子や武者絵などが描かれた掛け軸は、場所もとらず、比較的安価であるため、明治末期から昭和初期にかけて盛んに飾られました。かつての端午の節句飾りの様子や、当時の風俗を物語る資料としても貴重です。
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前の企画展 → 春の企画展*2010「ふるさとの雛人形」
春のミニ展示*2010「ちりめん細工のつるし飾り」
次の企画展 → 夏の企画展*2010「世界の乗りもの博覧会Ⅰ~海の乗りもの~」