日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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展示・イベント案内 exhibition

特別展

夏の特別展 「日本の祭礼玩具と節句飾り」

会期
2020年7月11日(土) 2020年10月25日(日)
会場
6号館
新居浜の太鼓台(愛媛県)/神田の花神輿(東京都)/名古屋東照宮祭の山車(愛知県)

祭礼は疫病退散を祈り、また豊かな実りと幸福な社会生活を願うもの、節句は季節の変わり目に当たって、身のケガレを祓い、健やかな暮らしを祈るものです。私たちの祖先が熱意を込めて発展させ、大切に継承してきたこれらの行事のなかで、人形や玩具に関わる文化は豊かな花を咲かせてきました。この度の新型コロナウィルス感染症の世界的拡大に際し、目に見えないものが大切な人たちの生命や健康、社会生活が脅かす恐怖を体験している今、祭礼や節句に込めた祖先たちの思いの強さに共感を覚えます。
本展では、6号館東室に「日本の祭礼玩具」を、西室に「日本の節句飾り」を展示し、それらを通して日本の造形美を見つめるとともに、私たちの社会が願い続けてきた幸福のかたち、子ども観や宗教観などを探ります。

播磨灘沿岸や市川流域に見られた七夕飾り(当館ランプの家で再現)

展示総数 1,000点


<日本の祭礼玩具>

四季折々、日本全国のいたるところで祭礼が行われています。疫病や悪霊を退散させるもの、豊作を祈るもの、豊漁と海上の安全を願うものなど、人々は祭礼によって神を鎮め、その行事の中に、生きる上での願いや祈りを込めてきました。祭囃子の笛や太鼓、獅子舞の先触れ、華やかな山車(だし)の引きまわし、屋台の練り合わせ、神輿(みこし)の静かな渡御……それらが登場する順序やストーリー、被り物の色、装束、賑やかな音と独特の音楽、それらすべてに日本人が育んできた信仰心や美意識が表現されています。

子どもたちも祭礼への参加を通して村や町の一員としての誇りを育み、夢と空想の世界に心を遊ばせます。かつて祭日の露店では、山車、屋台、神輿、獅子頭、天狗や火男(ひょっとこ)の面など、地域の祭礼にちなんだ玩具が売られました。それらを買ってもらった子どもたちは、祭りが終わった後も、その様子をまねて遊び、夢の余韻を楽しんだのでした。

明るく華やかな祭りの玩具の数々は、かつての日本のハ レの日の風景を甦らせてくれることでしょう。

東室「日本の祭礼玩具」展示風景


●日本各地の祭礼風景●

四日市祭の大入道の玩具(三重県)/名古屋の牛若弁慶(愛知県)

山車(だし)が初めて登場したのは平安時代、天災や疫病で非業の死を遂げた人々の怨霊を慰めるために行われた京都の祇園御霊会(ぎおんごりょうえ=祇園祭)であったとされています。以来、千年の歴史の中で、全国各地に豪華な山車が生まれました。山車を高く掲げて神を招き、賑やかに囃し立てて諸々の悪霊を送り出すために屋台で練り、あるいは鎮座する神を慰めるために神輿を担いで村内を巡り歩きます。

祭礼の中心ともいえる山車、神輿、屋台は、各地で盛んに玩具化されてきました。子どもたちは、これらで遊ぶことを通して、自分たちの町の山車や屋台の形を楽しみながら覚えていきました。ここでは、地方ごとに展示する山車、神輿、屋台など約400点の祭礼玩具を通して、日本各地に伝承される祭礼の色々をご紹介します。

讃岐地方の太鼓台(香川県)/堺の太鼓台(大阪府)
姫路の屋台(兵庫県)

以下、少しですが、展示風景をお目にかけます。

<東北地方の祭礼玩具>
<関東地方の祭礼玩具>
<中部・北陸・東海地方の祭礼玩具>
<近畿地方の祭礼玩具>
<中国・四国地方の祭礼玩具>
<九州地方の祭礼玩具>


●祭礼のお面●

子どもの面に影響を与えたのは、各地の民間信仰から生まれた里神楽の面であるといわれています。里神楽は、神社の祭礼で迎えられた神を慰めるために奉納される舞楽です。それら面を模して、天狗、鬼、おかめ、火男などの張子面が作られるようになるのは、江戸時代のこと。近代に入ると、全国各地で伝承されてきた張子面は、セルロイドやプラスチック製の面に押されて姿を消していきましたが、面には超自然的な力がひそみ、その威力によって悪霊を威嚇、退散させることが出来ると信じる心は、時を越えて、今の子どもの心にも受け継がれているようです。


●夏の祭りのおもちゃと灯籠玩具●

このコーナーでは、夏まつりにちなむ各地の玩具と、夜を彩る灯籠玩具をご紹介します。青森県の「扇ねぷた」や「金魚ねぷた」、秋田の「竿灯」祭りの人形、新潟県新発田の「金魚台輪」と村上の「鯛ぼんぼり」、出雲大社の「ジョーキ」や「鯛車」、山口県柳井の「金魚提灯」など、情緒豊かな夏の灯籠玩具は見どころたっぷりです。

扇ねぷた(青森県)/祇園祭の長刀鉾(京都府)/出雲の鯛車と鳥取の軍艦
<夏祭りと灯籠玩具>


●獅子頭の玩具●

獅子頭のミニチュア。子ども達は、頭に手を差し入れて打ち鳴らしたり、自分の頭にかぶったり…獅子舞をまねて遊びました。獅子頭は、奈良時代以前に渡来した中国伎楽のシシが原型になっているといわれていす。シシ(獅子)を、人間の生活を脅かす精霊、あるいはそれを鎮める霊獣として崇める民俗信仰は、中国、東南アジア、ペルシャにも見られます。祭に登場する獅子舞は、神楽の渡御(とぎょ)の先触れとして、また神輿に付き添って、祭場や道筋、家々の悪霊払いとします。獅子頭の玩具は、地方による造形の違いをよく表わしています。獅子が鹿や虎、麒麟である地域もあって、日本における獅子のイメージの豊かさをよく伝えています。
このコーナーでは、廃絶した資料もふくめ、明治末期から昭和40年代のものを中心に約150点を展示します。

獅子頭 姫路/鳥取/香川/富山
<獅子頭の玩具>


<日本の節句飾り>

「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目を表します。陰陽道の考え方では、奇数の重なる日は良くないことが起きるとされ、それを避けるための行事が“節供(のちに節句)”となりました。季節ごとに神に供えを行い、生命力にあふれる旬の植物の力によって邪気を払うこと――桃の節句の桃花酒や端午の節句の菖蒲酒のように――が節供本来の意味だったと思われます。

元旦(がんたん=1月1日)、上巳(じょうし=3月3日)、端午(たんご=5月5日)、七夕(たなばた=7月7日)、重陽(ちょうよう=9月9日)が五つの節句と考えられてきたようですが、江戸時代に入ると、一年の始まりに当たる元旦は、特別な祝儀を行う別格の日となり、代わりに人日(じんじつ=1月7日)が加わりました。

中国から日本に伝わった節句行事は歴史を経る中で、農耕儀礼や祖霊信仰、人形を愛する文化などと混交し、また節句に子どもの成長と幸福を祈るという日本独自の性格をプラスすることで、他のアジア諸国には例をみない生活文化を発展させてきました。
西室では、「正月」と、他の節句をめぐる文化の中から、「上巳」、「端午」、「七夕」を取り上げ、それぞれの行事を代表する人形や玩具を展示します。これらの中には、私たちの祖先が育んできた子ども観や宗教観、美意識などがよく表現されています。

「正月」の玩具・遊戯具、「上巳(桃の節句)」の雛飾り展示風景


●正月の玩具と遊戯具●

郷土ゴマのいろいろ

正月の遊びを楽しく美しく彩ってきたものに、凧、コマ羽子板、双六、歌留多
などがあります。これらは、長い歳月、日本の風土に磨かれ育まれたユニークな色と形をもっており、私たちの祖先の価値観や美意識などを物語る民俗資料でもあります。ここでは正月の玩具や遊戯具の中から、凧やコマ、羽子板の豊かな世界、その一端をご紹介します。

羽子板のいろいろ


●桃の節句の雛飾り●

中国から伝わった桃の節句の風習に日本独自の人形文化が加わり、女性の節句・女児の祝いとして雛まつりが行われるようになるのは、江戸時代に入ってからのことです。江戸前期は、毛せんの上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛まつりが盛んになるにつれて、雛人形や道具類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。安永年間頃(1772~81)には4~5段、天保年間頃(1831~45)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場してきます。

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るものです。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、 昭和30年代後半には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していきました。
ここでは、明治末から大正時代、続く昭和時代に京阪地方で飾られた優美な雛飾り――段飾りや御殿飾り――を展示します。

檜皮葺御殿飾り雛


●端午の節句飾り●

中国から伝わった端午の節句の風習が、男子の節句として庶民層まで広がりを見せるのは江戸時代のこと。江戸前期は、菖蒲兜(しょうぶかぶと)、毛槍(けやり)、長刀(なぎなた) などの武具や幟(のぼり)を家の門口に勇ましく立てる屋外飾りが主流でしたが、やがて武者人形などの室内飾りが加わります。後期に入ると、節句飾りは屋も室内も大型化し、市部の富裕階級は、豪華な飾り付けによって家の権勢を競い合いました。今日に伝わる節句飾りは小型化していますが、様式化された飾り物の中に古い時代の華やかな節句飾りの要素を伺うことが出来ます。
関東地方が質実剛健な甲冑飾りを好んで発展させたのに京阪地方では優美な武者人形が長く愛されてきました。ここでは、大正時代に京阪地方で飾られた武者人形と昭和初期、京阪神の裕福な家庭にも普及していた甲冑飾りを対峙して展示します。

武者人形・応神天皇と武内宿禰


●七夕飾り●

七夕もまた古代中国で発展した初秋の儀礼。天の二星(牽牛星・織女星)に織物の上達を祈るもので「乞巧奠(きっこうでん)」と呼ばれていました。それが奈良時代の宮中に伝わり、やがて、祖霊祭としての「盆行事」や、実りの秋を前にした「豊作祈願」などとも結びつき、日本独自の発達を遂げていきます。

織物に加え、和歌や書、管絃、立花、香道などの巧を祈る芸能祭のような色合いを帯びるのは室町時代のこと。私たちが今日、知るところの笹飾りが盛んに行われるようになるのは、行事の担い手が寺子屋の子ども達の手に移ってからのことです。早朝、子どもたちは、サトイモや稲などにつく朝露をとって墨をすり、短冊に書をしたためて笹につるすことで、書の上達を願いました。
高度経済成長期を境に一気に廃れ、家庭における七夕行事は今ではあまり見られなくなりましたが、ここでは、私たちが暮らす播磨地方に伝わる七夕飾り――塩田で栄えた播磨灘沿岸や銀山の町の七夕紙衣や、港町・飾磨の七夕の船など――を展示し、日本の七夕の豊かな世界の一端を垣間見ていきます。

播磨地方(但馬地方生野町を含む)の七夕飾り
銀山の町生野に伝わる七夕紙衣
姫路の港町飾磨に伝わる七夕の船
「日本の祭礼玩具と節句飾り」2020展示風景