「バイ」と「ベーゴマ」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

Toys of this month
2023年2月

「バイ」と「ベーゴマ」

  • 明治~昭和中期
  • 日本/貝殻(バイ貝)、鋳鉄

寒い季節に全身を使ってコマを回す子どもたちの姿を見かけなくなって久しいのですが、コマがもう忘れられてしまったかといえばそうではありません。例えば、ベーゴマは姿を変えて現在の子どもたちの傍らにも存在しています。

江戸時代、始まりの頃のベーゴマはバイ貝の上部を平らに削ったもので、紐を巻き付け、投げて回しました。享保15(1730)年に大阪で刊行された『絵本御伽品鏡』(長谷川光信・画)には、盥(たらい)の上に茣蓙(ござ)を置いて土俵を作り、その上で子どもたちがバイ貝のコマを回す様子が描かれています。土俵から弾き出されたら相手に自分のコマを取られるので子どもたちは真剣な眼差し! 画面にはバイ貝を削る職人の姿も見えています。京阪地方ではバイ貝のこまは「バイ」とか「バイゴマ」と呼ばれていました。
京阪から江戸に伝わったバイゴマは、江戸っ子のベランメエ口調によるものか「ベーゴマ」に変化します。京阪では溶かした鉛や粘土を詰めて切り口を赤い蝋で彩ったものが好まれ、江戸では詰め物のない簡素な品が愛されていたようです。

明治時代のバイ(バイゴマ)とバイ貝

明治末期にバイをかたどった鋳物製が登場すると、新時代の工業製品に人気が殺到します。鉄のかたまりに紐をかけ、投げて回すのだから時に誤って壁や扉を壊すこともあったでしょう。そんな危険性と賭博性に眉をひそめ、学校ではベーゴマ遊びが禁じられたりもしたようですが、路地や空き地で勝負に熱中する子どもの姿は絶えず、鋳物製のベーゴマは昭和時代に入っても駄菓子屋の人気商品であり続けました。

昭和10年代後半、太平洋戦争の戦況悪化とともに、材料統制が行われ、他の生活用品と同様、金属製のベーゴマは製造できなくなってしまいます。それでも戦後ほどなくして復活! 昭和30年代には表面にプロ野球選手や力士の名を刻んだ品々が全国で流行し、埼玉県川口市では、60を超える多くの工場が鋳物製ベーゴマを盛んに製造していました。

さらに昭和後期になって再び姿を消したベーゴマでしたが、平成時代、玩具メーカーが発売した「ベイブレード」(TAKARA TOMYの商品名)によって再生を遂げます。土俵ならぬ❝スタジアム❞で互いのベイブレードをぶつけて勝敗を競う遊びで、バージョンアップを通して何度ものブームが創出されました。

ベーゴマ回しは確かに難しく、上手に紐をかけ、気持ちのよい回転を与えられるまでには長時間の練習を要します。そんな過程を通して、往年の子どもたちは根気よく手の技を磨き、速度と重量の関係性などを遊びの中で感覚的に学んでいたのです。一方、平成時代のベイブレードは、専用の道具に装着して容易に回すことが出来るかわり、合金やプラスチック製の部品を組み合わせて競技に強い個体を分析的に改造し、カスタマイズしていく面白さがあります。

歴代のベーゴマには、その素材にも回し方の趣向にもそれぞれの時代精神が表れていて、玩具史の移り変わりがよく感じられます。それでも、自分自身を小さなコマに託し、夢中で相手とぶつかりあう子どもたちのまなざしは、時をこえて変わらないものだと・・・。

(学芸員・尾崎織女)