今月のおもちゃ
Toys of this month
「ヘイタイゴッコの鉄カブト(鉄帽)・サーベル式軍刀・ラッパ」
●昭和初期から昭和20年(1945)年の終戦近くまで、子どもたちの間で「戦争ごっこ」が流行し、なかには戦車や戦闘機、機関銃などを手づくりし、真剣に戦争ごっこに取り組む小学校(昭和16年以降は国民学校)もありました。——そのような風景は、当時の子ども向け雑誌『キンダーブック』などにも描かれています。

●上の画像は、昭和2年に創刊された日本で初めての月刊保育絵本『キンダーブック』の見開き2ページで、日中戦争が始まって2年が経過したころ、昭和14(1939)年12月に刊行された「オモチャ」特集のなかに描かれた「ヘイタイゴッコ」の様子です。戦闘用の鉄カブトをかぶり、防毒マスクをつけた男の子、サーベル式軍刀や日本刀を佩いた男の子、敵方に機関銃の銃口を向ける男の子、迷彩色に彩られた戦車やプロペラ戦闘機、軍用トラックや軍馬のおもちゃを手にする男の子たちがひしめき合い、広場には日本の国旗、満洲国の五色旗、中華民国建国初期の五色旗が打ちふられています。日中戦争を想定したものでしょう。文章には、歩兵隊、タンク隊、爆撃隊、決死隊、砲兵隊、輜重(しちょう)隊など部隊の種類が示され、子どもたちはそれぞれの役割を帯びて戦争ごっこに興じているのです。
●実際、当館には「ヘイタイゴッコ」に用いられた玩具が少なからず残されています。

●上の画像は、大日本帝国陸軍が使用していた鉄カブト(鉄帽)や喇叭(ラッパ)、サーベル式軍刀を真似て作られた戦争ごっこ「ヘイタイゴッコ」用の玩具で、ブリキやアルミで作られています。当時使われていた「九〇式鉄帽」の材質は、クロームモリブデン鋼という堅固な鋼で、厚さは約1~1.5mm、重量約1kgでしたが、おもちゃの鉄カブトは子どもたちがかぶって遊べる軽さです。戦局が厳しくなるにつれ、材料統制が始まって、ブリキ、アルミなどの金属製玩具の製造が禁止され、戦争のための金属供出も広く行われましたので、残された鉄カブトなどの金属玩具は大変貴重です。


●戦前戦中の日本にあっては、日清・日露戦争で活躍した海軍大将・東郷平八郎や日露戦争で旅順攻囲戦を指揮した陸軍大将・乃木希典はもちろんのこと、日露戦争で活躍し、訓練中の事故で殉職した海軍大尉・佐久間勉や文部省唱歌の題材ともなった海軍中佐・広瀬武夫、日清戦争で死してもラッパを離さなかった陸軍兵士・木口小平、上海事変の折、敵陣突破して自爆した爆弾三勇士(江下武二・作江伊之助・北川丞)らは、国を守る軍神として、英雄として、終戦まで広く深く尊崇されていました。
●たとえば、日清戦争(1894-5)の成歓の戦いで、突撃喇叭を吹いている最中に被弾し、戦死した喇叭手、木口小平(きぐちこへい)——「キグチコヘイ ハ テキノ タマニ アタリマシタガ シンデモ ラッパヲ ハナシマセンデシタ」——彼の逸話は、昭和20(1945)年、太平洋戦争終結時まで尋常小学校1年生❝修身❞(戦後の道徳)の教科書に掲載され続け、戦前戦中の子どもたちは、君たちもかくあるべしと教えられていたのです。
●「ヘイタイゴッコ」に興じる子どもたちは、玩具の軍刀をもち、喇叭を吹き鳴らしつつ、このような英雄に憧れ、将来、自分たちも兵士となって天皇の名のもとに、国を守り、故郷を守り、家族を守るために潔く戦い、役割を全うするのだと、それが使命だと信じて日々を生きていたのですね。守護の呪力をもつという星印がとれてしまった鉄カブト、錆びた軍刀や喇叭は、戦時下の子どもたちの暮らしや時代精神をリアルに伝えています。
(学芸員・尾崎織女)