今月のおもちゃ
Toys of this month
「伏見土人形・人魚」
●人魚は、人間の女性らしい頭部や上半身と、魚らしい胴部や下半身が合体した水生生物であるとされ、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど世界中の民間伝承に登場し、地域それぞれのイメージをもって長く人々に親しまれてきました。
●日本における人魚のイメージは、時代によって異なります。中世から近世前期の文献に記載された人魚は、滅亡の予兆であるとか、戦乱や凶事が起こる前兆であるとか、人魚を見ることは不吉で、恐ろしいことの前触れと考えられていたようです。それが江戸後期になると、疫病流行を予言する霊獣ととらえられるようになります。
●例えば、文政2(1819)年、肥前国に出現した「神社姫」の図においては、髪が長く、2本の角が生えた女性の頭部に長い魚の胴体がついた人魚の姿で神社姫が描かれ、‟向こう七年のあいだは豊作に恵まれるが、そのあと、コロリ(コレラ)が流行する。けれども私の姿を写した絵を見ると難を逃れ、長寿を得るだろう”との予言が記されています。また、江戸後期の錦絵「海出人之図」の「海出人」は、長い髪の女性らしい上半身と鱗のある身体を巻貝に乗せた姿で越後国福島潟に現れて予言を行います。‟当年より五年のあいだは豊作に恵まれるが、悪い風邪が流行して多くの人が死ぬ。私の姿を朝に夕に見ていれば、この難を逃れるであろう″と。――女性らしき人と魚らしき動物が合体した予言獣といえば、新型コロナウィルスが流行した2020年に脚光を浴びた「アマビエ(アマビコ)」(弘化3・1846年に肥後国に出現)を想い起します。
●日本の郷土玩具の世界にも少なからず人魚を題材にした作品が見られます。そのひとつが日本の土人形の源流を作った伏見土人形の人魚です。髪の長い女性には2本の角が生え、白い胸には金色の宝珠が三つ輝いています。その上半身が灰色の鱗に覆われた魚らしい胴部と合体し、白い尾びれを跳ね上げ、胸びれを左右に開いた姿は愛らしく柔和です。昭和初期製と推定されるこの伏見の人魚は、かつて当館が寄贈を受けたものですが、残念ながら出自来歴が明らかではありません。


●興味深いことに、明治・大正・昭和初期に活躍したおもちゃ絵師(浮世絵師)で当時、関西の趣味人たちに愛された川崎巨泉(1877-1942)が、京都伏見の窯元・丹嘉の大西氏に依頼して人魚を作らせています。雅号≪人魚洞≫を名のり、人魚に関する品々を収集していた巨泉は、大正14(1925)年6月、「蒐集趣味 人魚の展覧会」を開催し、その記念として丹嘉で作ってもらった「伏見人魚」200体を自ら着彩して観覧者に贈呈しているのです。
●大阪府立図書館は、同館が所蔵される川崎巨泉の自筆写生画帳(描かれた玩具は5000種以上)を「人魚洞文庫データベース」として収録公開しておられるので、「人魚」をキーワードに検索してみました。
人魚洞文庫データベース | WEBサービス | 大阪府立図書館
伏見人魚 :おおさかeコレクション
「人魚凧」「四日市人魚貯金入」「四日市祭人魚」(いずれも三重県)などとともに「伏見人魚」が上がってきます。巨泉らしいやわらかな筆致で写実的に描かれた伏見人魚の背面と前面の絵図には、‟古型 大正末年頃作 大西氏型″との記述が添えられ、当館所蔵の人魚と同じ型であることがわかります。巨泉の200体のうちの1体が当館の所蔵品であるとは考えにくいのですが、丹嘉の人形らしい美麗な作品であることは確かです。
●巨泉の絵図に‟古型“とあるのは、もともと伏見の人魚は、日本が開国を迫られるようになった時代、文政5(1822)年に西日本一帯にコレラ(当時はコロリ)が流行し、大阪で「三日コロリ」(3日間でコロリと命を落とす)と恐れられたころ、あるいは安政5(1858)年、関東にも感染が広がり、死者二十六万余人を数える大流行をみたころに避病のまじないとして売り出されたものと考えられているからです。
●医療が発達し、合理精神に基づいて社会がつくられている現代にあっても、猛烈な勢いで伝染病が拡大するとき、非日常や異世界を象徴する何かに頼り、非合理的であると思いながらも、まじないに強く心を動かされることを新型コロナウィルスの世界的大流行を通して体験した私たちには、コレラ除けとして、たとえばこの人魚を身近に置こうとした祖先たちの切実な思いがよく伝わってきます。
(学芸員・尾崎織女)