今月のおもちゃ
Toys of this month「北京の毛猴~麻雀に興ずる猿たち」
●手のひらに乗るほどの小さな室内で、4匹の猿たちが楽しげに麻雀に興じています。いったいこの猿たちは何者なのでしょうか?! これらは、クマゼミの抜け殻と乾燥させた辛夷の蕾を用いて猿に見立てたミニチュア形で、「毛猴(中国の猿は「猴」と綴られる)」の名で親しまれる北京の名物玩具です。細やかな猿の姿に真実味があふれ、しかも風刺的なユーモアが効いたユニークな民芸です。
●「毛猴」が誕生したのは、清代も終わりに近づいた同治年間(1862~74)ころのこと。北京市の宣武門外にある❝南慶仁堂❞という漢方薬舗に、若い店員たちに非常に厳しい❝会計士さん❞があり、ある男は叱られてばかりでした。ある日の夜、その男は落ち込んで、家にも帰れず、夕飯も喉を通らず、漢方薬が並んだ棚の金蝉(クマゼミの抜け殻)や辛夷(コブシの蕾を乾燥させたもの)を弄んでいたところ、それらを使って❝会計士さん❞に見立てた猿を作ってみようと思い立ちました。猿の頭と四肢は蝉の抜け殻を使い、胴体にはふさふさとした辛夷の蕾を、接着剤には白芨(紫蘭の球茎)、道具には木通(アケビの茎)を用いました。金蝉(きんぜん)も辛夷(しんい)も白芨(びゃくきゅう)も木通(もくつう)も漢方薬なのです。―――果たして、❝会計士さん❞そっくりの毛猴が出来上がり、それは漢方薬舗を訪れるお客さんに大好評。漢方薬もよく売れたのだそうです。
●小さな猿のちょっとした仕草にも喜怒哀楽が表現され、製作された1930年代(中華民国期)当時の生活風景と人々の心情が毛猴のなかに閉じ込められているようです。この時期の作品には、人力車を引く猿や阿片(アヘン)を吸飲する猿なども遺されています。廟会の露店などで製作実演があると、毛猴の周りにはいつも人垣が出来ていたといいます。
●旧来の生活文化が否定された文化大革命期(1966~76)には、製作が途絶していましたが、1980年代の民間美術復興運動の波に乗って、毛猴の製作も蘇りました。80年代からは伝承者である曹儀簡が活躍し、2000年代に入ると、毛猴に魅力に取り付かれた若い世代の作者たちが作り方を覚えて、伝統的な題材に現代的な風俗を盛り込みつつ、毛猿の世界は今も継承されています。
●毛猴たちは、7月9日から開催する特別展「中国民衆玩具の世界」でご紹介しています。梅雨が明けると、蝉の抜け殻があちらにもこちらにも・・・。いくつかを採集して、毛猴づくりに挑戦してみようかと思っています。辛夷の蕾が入手できない季節ですので、何か別のものを探さなくては! 皆様もいかがですか?
(学芸員・尾崎織女)