日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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今月のおもちゃ

Toys of this month
2020年4月

「疱瘡除けの赤いみみずく」

  • 平成20年代復元製作
  • 埼玉県川越市(江戸・東京の郷土玩具)/紙
川越張子・疱瘡除けのみみずく(江戸の疱瘡除けみみずくを再現)と『江都二色』(安永2・1773年刊)に描かれた疱瘡除けのみみずく

達磨に猩々(しょうじょう)、金太郎に鯛車・・・。郷土玩具のなかの猿や猿や馬、牛や犬の動物玩具も赤く彩色されたものが数多く見られます。赤い色に特別な霊力がこもるとして神聖視する感性は、縄文時代にはすでにあったとされ、長く日本に受け継がれてきましたが、江戸時代後期においては、“疱瘡(天然痘)除け”の玩具の中に、赤への民間信仰が表現されています。

会津張子・赤べこ(福島県会津若松市)、三春張子・達磨(福島県郡山市)、鴻巣練物・鯛車(埼玉県鴻巣市)

奈良時代に大陸から持ち込まれた疱瘡(=痘瘡/天然痘)は、種痘が行き渡る明治時代中ごろまで、千数百年にわたって日本人を苦しめた伝染病です。江戸時代には慢性的に流行し、貴賤を問わず人々を襲い続けました。強い免疫性があるため、罹患者の多くは小さな子どもたちでした。死を免れても、高熱によって失明したり、深刻な後遺症が生じたりして、疱瘡が個人の人生に与えた影響の大きさはどれほどのものだったでしょう。
当時、疱瘡は「疱瘡神」がとりつくことで発病し、それは“断れない客″と考えられていました。人々は丁重に疱瘡神を迎え、つつがなく送り出すことに心をくだきましたが、そこに赤い色が大きな意味をもっていました。

「……屏風衣桁に赤き衣類をかけ、そのちごにも赤き衣類を着せしめ、看病人もみな赤き衣類を着るべし………」(香月啓益著『小児必用養育草』元禄16・1703年刊)——————江戸時代の絵図や文献をみると、病室には赤い屛風を広げ、疱瘡に罹った子も看病する親も赤い着物をまとっています。子どもの傍には闘病を励ますように赤い張子玩具が置かれ、壁には獅子頭や猿や犬などを描いた赤い絵が貼られます。このような病室における赤尽くしについて、赤を好むとされた疱瘡神を喜ばせるためとも、赤の呪力によって疱瘡神を退散させるためとも、両方の解釈がなされてきました。

会津張子・赤べこ車(福島県会津若松市/昭和初期)と疱瘡除けのみみずく(埼玉県川越市/平成初期・荒井良氏による再現)

そんな疱瘡除けの赤い玩具のなかに「みみずく」があります。かつての江戸で、達磨とともに盛んに贈答された張子です。らんらんと見開いたみみずくの目は疱瘡の高熱による失明除けのまじない。また、みみずくにしては長過ぎる、ウサギの耳のような羽角は、飛び跳ねるウサギのように病児が元気に回復しますようにという願いでしょうか。みみずくにウサギのイメージが重ねられているのは、ウサギの血肉を食べさせると疱瘡から回復するとされていたことと関わりがあるという研究者もあります。みみずくの胸の火炎宝珠の模様は意のままに願いを叶える仏の法力を象徴しており、またこれが土人形ではなく、中が空洞の軽い張子であるところにも、病気が軽くすむようにという祈りがこめられていると思われます。―――つまり、形にも色にも模様にも素材にも、何もかもに当時の人々の呪術的な思考が表現されているのです。

そうした江戸の民間信仰を伝えるみみずくも、種痘の普及とともに廃絶。それを埼玉県川越市で江戸張子の復元に取り組まれる荒井良さんが、平成の初め、作品や文献をもとに再現を果たされました。呪力のこもる愛らしい作品―――ただ、残念ながら現在は、製作がストップしています。
近世の人々の病気とのつき合い方や自然観、信仰を表現する「疱瘡除けのみみずく」は、新たな悪疫蔓延への恐怖を前にして、令和時代の私たちにも感じるところが非常に大きいと思われます。そんな今だからこそ、赤いみみずくの製作再開が待たれます。

(学芸員・尾崎織女)


<後記>
常設展示室4号館のスポットライトコーナーに「疱瘡除けの玩具たち」として赤い郷土玩具を展示中です。(→2021年2月末日まで)