今月のおもちゃ
Toys of this month
青龍節の「不倒娃娃」
●環渤海経済圏を構成する山東省は、広東省についで中国第二位の経済規模を誇っていると聞きますが、同省はまた、農民による素朴で温かな工芸を輩出してきた地でもあります。
●山東省浜州市の西北部、恵民県に伝わる「不倒娃娃」は、中国民間玩具の研究者、李寸松氏(1927~2011)から寄贈を受けた品で、1997年の早春、恵民県火把李村の❝太陰暦二月二日の廟会❞で売られる不倒娃娃を求めて、同氏が製作者が住む河南張村を訪問された折、当館のために収集してくださった品です。旧暦2月1日の河南張村では、翌日、廟会の市場で販売するために、どの家にもたくさんの不倒娃娃が並べられていたといいます。李氏の調査によれば、かつては村をあげて多くの種類の人形が作られていたのが、訪問した当時は、十軒ほどが廟会のための不倒娃娃作りに取り組むのみになっていたということでした。下記の写真は、その4年後、日本郷土玩具の会の柊澤玄樹氏が同地を訪ねられた折のものです。

●太陰暦二月二日は、龍が頭をもたげて雨を降らせ、種まきが始まる暦日にあたり、「青龍節」、また「春龍節」と呼ばれて中国民衆に親しまれてきました。「青龍節」とは雨風を司る天の青龍が農作物の成長に程よい雨や風を与え、五穀豊穣をもたらしてくれるようにと願う暦日です。青龍節に不倒娃娃が登場する理由について、「望子成龍」といって、子どもが龍のように元気に成長して出世を果たしてほしいと望みが託されているから。また、倒してもひょっこりと起き上がる娃娃の動作に子どもの「百歳長寿」を願い、旺盛な生命力を象徴するものとしてこれを求めるのだと李寸松氏は日本人形玩具学会の学会誌に寄稿しています(※1)。
(※1)李寸松著・三山陵訳「中国の‟だるま”と‟二月二”(二月二日)」
『日本人形玩具学会会誌No10 人形玩具研究 かたち・あそび』(日本人形学会誌編集委員会編/1999年刊)所収

●春の野に花が咲くような明るい模様を身にまとい、額に愛らしい花鈿(かでん)を描いて、独特の表情でほほ笑む娃娃には、生命力と春の喜びが詰まっているように感じられます。火把李村の廟会で、それぞれの願いを胸に、お気に入りの不倒娃娃を求めた人々は、大事に娃娃を抱え、混雑する廟会を晴れやかに後にしたことでしょう。
<付記>
●ところで、李寸松氏(「李先生」と私たちは呼んでいます)と当館との出会いは、日中友好会館美術館(東京都文京区)で開催された「中国民間玩具の世界展」(1994年4月6日~5月29日)の監修のために李先生が来日された1994年の春のこと。その前年秋に浙江省で開かれた中国民間美術学会第10回総大会で李先生と親しく言葉を交わしていた当館の井上重義館長は、4月6日のオープン初日に同展見学のために上京し、先生を当館へお招きしました。
●李先生には、忙しい来日スケジュールを縫っての姫路訪問でしたが、日本玩具博物館の6つの展示室をまわっては日本の郷土玩具の一つ一つを愛しむように手にとり、世界の民芸玩具の一つ一つに目を止めては顔をほころばせ、「ああ、民間玩具(※2)の宝庫にやってきた」と歓喜されました。その折に、先生が民間玩具について述べられた次の言葉を紹介いたします。
(※2)「民間玩具」は、日本の「郷土玩具」にあたる言葉です)

●「古くから伝わる中国の民間玩具には、芸術的な観点からみても現代美術の栄養となるような素晴らしい要素が詰まっています。アフリカやアジアの民族工芸がピカソやマチスに深い影響を与えたように、民族的な工芸は近代芸術を生み出す母胎となるものです。中国の民間玩具もまた、子どもが遊ぶ道具であると同時に芸術品として評価したいと思います。玩具を作ってきた人たちは、確かに無名の庶民にすぎません。しかし、こうした素朴な玩具を偉い芸術家にお願いして作れるものではないでしょう。これらには、中国人民の暮らしの中から生まれた願いや価値観や美意識が込められ、中国民族の風格というものが溢れています。《民族の風格》というものは、一人の偉大な芸術家が生み出すものではなく、多くの人民が長い歴史の中で作り上げるものではないでしょうか」。
●それ以降も、先生が此の世を去られる直前まで交流が続き、李先生から当館へ、総数約200点の中国民間玩具が託されることとなりました。北京、河北省、河南省、山東省、山西省、江蘇省、浙江省、広東省、湖北省、湖南省、貴州省、四川省、雲南省、陝西省、甘粛省…と、その産地はほぼ中国全域に及んでいます。これらの寄贈品には、玩具への思いが通じ合う当館への篤い信頼と、玩具研究に関心を寄せる後進への愛情の証であるばかりか、中国民間玩具を広く、後世へ継承したいという先生の願いが込められたものに違いありません。
(学芸員・尾崎織女)