<見学レポート>京都の重陽節 | 日本玩具博物館

日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

Language

ブログ

blog
学芸室から 2013.09.16

<見学レポート>京都の重陽節

9月9日は新暦重陽の節句でした。陰陽道の考え方において、奇数は陽数、偶数は陰数というそうですね。その昔は、 同じ陽数が重なる1月1日、3月3日、5月5日、7月7日などは、“陽が重なって陰をなす”から不吉なことがおこると恐れられていました。“9”という数字は「陽数の極」ですから、重陽は陰が極まる日。節句の概念を生み出した中国においては、重陽の日の災厄をのがれるために、茱萸(しゅゆ)の実を詰めた袋を肘にかけ、高いところに登り、菊花酒を飲むということが広く民間で行われていたそうです。そうした風習は、日本の貴族社会にそのまま伝わったのですが、今ではすっかりすたれてしまいました。

今年は、文献でしか見たことのない古い時代の重陽節の風習に触れてみたく思い、京都ツウの友人の案内でいくつかの寺社を訪ねました。


市比賣神社の「重陽祭」

河原町五条の市比賣神社の「重陽祭」では、数年来、拝見したく思っていた「菊の着せ綿(被せ綿)」の風習に触れることができました。「菊の着せ綿」というのは―――、9月8日の夜、菊花の上に真綿をのせて就寝。翌9日の早朝、露を含んで菊花の香りが移されたその真綿で顔や身体をぬぐえば、「老」を払い、長寿を得るというものです。貴族社会から武家社会に受け継がれ、江戸時代には都市部の町家でも盛んに行われたことのようですが、明治時代に入ってすたれ、今では見かけなくなった風習です。

『絵本都草紙』より重陽/吉川三治・西川祐信(延享3・1746年刊) に記された「菊の着せ綿」
市比賣神社本殿前の「菊の着せ綿」

 もろともにもろともに おきゐし菊の白露も ひとり袂にかかる秋かな 
                  (紫式部『源氏物語』「幻」の巻)
 垣根なる菊のきせわた今朝みれば まだき盛りの花咲きにけり
                  (藤原信実 『新撰六帖』)

菊の着せ綿を詠み込んだ和歌は探せば、けっこう見つかります。和歌が詠まれた時代は、太陰暦にもとづいて重陽節がもたれていたので、まさに菊花の盛りです。 けれど、 残暑厳しい太陽暦の9月9日は、まだまだ菊花が朝露を含むにはまだ早い季節です。造花ではなく、本物の菊花を使って着せ綿をなさるところは、京都においては市比賣神社だけではないかというのは、京の行事に詳しい方のお話です。真綿を着せられた三色の菊花は、燦々と降る日の光にまぶしくうなだれそうになりながらも、品格の高い花らしく凛と咲き誇っていました。

着せ綿をほどこした菊花の生け花と茱萸の実を詰めた茱萸袋

この日、市比売神社では「菊乃御中」と呼ばれるお守りが授与されます。9月9日の早朝、菊花の露と香りを移した三色の真綿をとり、菊の花びらとともに包んだお守り。身をぬぐって魔除けとします。私は、初めて知りましたが、御所言葉では綿のことを“御中(おなか)”というそうですね。

重陽祭の日に授与される「菊乃御中」


法輪寺の「重陽節会」

正午に市比賣神社を辞した後、13時から行われる法輪寺の「重陽節会」を拝見しようと、嵐山へ向かいました。
法輪寺の「重陽節会」では読経の後、舞囃子金剛流の『枕慈童』が奉納されます。『枕慈童』のもとになっている伝説はこのようなものです。
…………皇帝に仕え、愛されていた慈童ですが、ある日、誤って帝の枕をまたいでしまいます。皇帝の枕を臣下の者がまたぐなど決して許されないこと、けれど、慈童は帝の恩命によって深山幽谷の彼方へと配流されます。毎朝、慈童がありがたい深秘の文言を菊の葉に書して唱えていたところ、傍を流れる谷川へ菊の露が落ち、その水が甘露となって山里を流れ始めました。これを飲んだ三百余家の民は不老を得、慈童は八百歳の齢を重ねました。………
この伝説は重陽の節句に深く結びついているようです。

法輪寺の重陽の節会に奉納された『枕慈童』

重陽は、民間における風習が途絶えて久しいために、他の節句に比べてわかりにくい世界です。けれど、この節句の風習を知った上で様々な造形物を眺めていると、重陽節を表現したものがちらほら見つかります。たとえば、ちりめん細工の袋物の中には、慈童の伝説をデザインしたと思われる古作品が見られます。「 きりばめ細工・流水に菊花の袋物」―――これは、長命をもたらす菊の甘露が流れる山川を表現し、長命を寿ぐ意味が込められた袋物ではないでしょうか。

法輪寺ではこの日だけ、「茱萸袋(しゅゆのふくろ=ぐみぶくろ)」が授与されます。「茱萸袋」は薬効のある茱萸の実を袋に詰め、袋の結び口に菊花と茱萸の枝をさしたかけ飾りです。貴族社会では、重陽の節句に壁などにかけて魔除けとし、それは次の端午の節句に「薬玉」とかけ替えるものでした。そして、端午の節句に壁につるした「薬玉」は、重陽の節句までそのままかけ置かれます。文献でしか見たことのなかった「茱萸袋」を授与いただき、非常にうれしかったのですが、意味の深い、また美しい袋物ですから、ちりめん細工のテーマのひとつとして取り組めないものかと思ったりいたします。

法輪寺の重陽節会に授与される茱萸袋

薬玉飾りと茱萸袋飾り―――季節の草木、花、実の力を頼むまじないの具の美しいデザインが今の女性たちの手で平成の暮らしによみがっていくのも素敵なことではないかと思うのです。

(学芸員・尾崎織女)

バックナンバー

年度別のブログ一覧をご覧いただけます。