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学芸室から 2016.02.12

<見学レポート>播磨の新春の鬼たち

新春から夏至に向かう歳時記についてのお話するよう依頼を受けたこともあり、この1月、2月は兵庫県各地の寺社へ「鬼追い式」の見学に出かけていました。心に残った四つの行事をご紹介したいと思います。

1月18日は、書寫山圓教寺(姫路市)の「修正会(鬼追い会式)」を見学に出かけました。圓教寺護法堂に祀られている乙天と若天の護法童子(不動明王と毘沙門天とも目される)は、災いを福に転じる力をもち、五穀豊穣をもたらす神として尊崇を受けてきました。この両護法童子が赤鬼・青鬼となって、魔尼殿の内陣で祈願の舞を繰り広げます。青鬼は宝剣を握り、赤鬼は大槌を背に松明をかざし、鈴を打ち鳴らして四股を踏みながら内陣をまわります。ダンダと賑やかな音と響きの中に松明の火の粉が舞い、閉じられた摩尼殿の中で、私たちの中にも棲む魔がいぶされ、転がり出して、やがて開放された扉から煙とともに逃げ出していくようでした。

2月3日の節分には長田神社(神戸市長田区)の「古式追儺式」へ。長田神社の追儺の神事は、一番太郎鬼、赤鬼、姥鬼、呆助鬼、青鬼、そして大役の餅割鬼と尻くじり鬼の合計七匹の鬼が古式ゆかしい演舞を繰り広げることで有名です。 この神事の本質は、長田大神の化身となった鬼たちが、松明(麦藁で作られます)の炎で種々の災厄を焼き払い、太刀をもって寄り来る不吉を切り捨て、天地を祓って人々の無病息災を祈ること。本殿には、太陽と月を象徴する「太平の餅」、一年を現わす十二枚の「鬼の餅」、日本各地を現わす「六十四洲の餅」、宇宙や星を象徴する「柳の餅」が飾られ、神事催行においてそれぞれの餅が重要な役割を果たします。ほら貝と大太鼓の響き、伎楽面を想わせる鬼の面立ちとゆったりとしておおどかな演舞の所作。――室町時代から姿を変えていないという長田神社の追儺式が古式と言われる所以を知りました。長田神社の授与玩具として知られる小さな厄除け鬼面は今も健在。伏見焼の端正な型と彩りも昔ながらで、伏見大役の鬼(餅割鬼・尻くじり鬼)3500円/五匹の鬼(一番太郎鬼・赤鬼・青鬼・姥鬼・呆助鬼)3000円で授与されていました。

2月7日は北播磨の古刹、如意山蓮華寺(三木市口吉川町)の「鬼踊り」へ。 十一面観音が祀られた本堂に入ると、外陣天井には桜の枝に幾多の紙桜の花が咲き、シキミの葉を添えた鬼の餅が結界にかけられています。内陣には鬼踊りの面、転読に使用される数多の経典、密教的な法具を前に礼装のお坊様がずらりと座され、法要が行われます。大般若経転読の後に行われる鬼踊りには、赤鬼、黒鬼と二匹の青鬼、それからかわいい四匹の子鬼が登場します。鎮守社に揃って参拝した後、儀式は、松明をかざした赤鬼の「清めの踊り」から。大鬼たちは半鐘と大太鼓のリズムに合わせて足を踏み鳴らしながら柱に激しく松明をたたき付け、火を消したと同時に参拝の衆に向かって松明を投げてきます。老若男女は我先に競い合ってその松明をとろうと群がります。鬼の投げた松明は厄除けになると伝わるからです。荒々しさがなく、おおらかでやさしい印象のある蓮花寺の鬼面――慶長15(1610)年の修理銘があるそうで、400年以上前に作られた面を大切に守り使い続けてこられたとは素晴らしい――に表現されるように、こちらの鬼たちも、圓教寺や長田神社の鬼と同様、調伏されるべき存在ではなく、強烈な霊力によって災厄を蹴散らし、人々に新年の豊かさをもたらすものたちです。

加古郡稲美町の野寺山高薗寺では、2月9日と10日に鬼追い式が行われます。私は二日目の夕暮れ時からの催行に何とか間に合い、鬼役たちの観音堂への練り込みから見学させてもらいました。赤鬼は毘沙門天、青鬼は不動明王の化身とされ、法螺の音色と大太鼓のリズムに合わせて演舞を繰り広げます。場所は観音堂回廊。鬼たちは燃え盛る松明を手にダンダと四股を踏みならして演舞し、餅きりの所作を行い、回廊の角にいたると、松明を参拝者に向かってバッと放り投げます。夕闇の空に火の粉を撒き散らしながら放物線を描いて飛ぶ松明、その着地先を狙い定め、小鳥たちのようにサッと逃げてはバッと群がり奪い合う人々・・・。鬼たちと村の人々との息のあった火の松明の受け渡しに感動しきり・・・。鬼の投げた松明は魔よけの力が絶大なのだそうです。東から西から登場する鬼たちの演舞と松明投げに見とれているうち、とっぷりと日は落ち、旧暦新春の新月が空に・・・。赤鬼青鬼は梅の枝をあらわした「鬼の花」をもって舞い、天下泰平と五穀豊穣を祈る鬼追い式が終わります。

鬼は悲しみや怒り、邪気や悪を象徴するものとして打ち払われ追われる存在と考えられていますが、新春、節分、立春という暦の節目に当たって登場する兵庫県下の鬼たちは、魔を切り、人々に幸福をもたらすトリックスター。また新年に豊作や平和をもってやってくる来訪神としてのイメージを底に秘めているようです。“鬼追い”というより“鬼迎え”という方がこれらの鬼たちの性格にあっていると感じました。中国の影響を受けて宮中で始まった追儺の、打ち払われる鬼は、民間へ深化する過程で日本土着の来訪神と合体したのでしょうか。兵庫の鬼たちに接しているうちに、なぜか、南ドイツのクリスマスに聖ニコラウスが連れてくるブッテンマンドル、オーストリアの聖ニコラウスが連れてくるニコロスピーレン、チェコの聖ミクラーシュが連れてくるチェルトを想いました。ブッテンマンドルもニコルスピーレンもチェルトも、大きな音を立てて村をめぐり、豊穣をもたらす良き鬼たちですから。

郷土玩具の張り子面にみられる鬼たちの表情は、このような行事を背景に生まれたことに鑑み、今夏、1号館で開催する「世界の仮面と祭りのおもちゃ」の展示の中にも新春に活躍する鬼たちの存在を生かしていけたらと思っています。(尾崎織女)

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