日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2020.05.23

薫風のなかでオープンいたしました

新コロナウィルスの急激な感染拡大が心配された3月7日から19日まで、そして緊急事態宣言が発出されていた4月7日から5月22日まで、合計で60日間、館を閉じておりましたが、本日、5月23日より、感染防止の措置をとりつつ、展示室の窓を開け放って、文字通りオープンいたしました。

箱根ウツギが咲き始めました

八重桜が散り、大手鞠が散り、空木が満開となり、山紫陽花が色づいて、季節は夏へと動いていきますが、館内の時間はじっと止まったままでした。今朝は開館と同時に、井上館長が柱時計のネジを巻き、カチ、カチ、カチ、カチ、・・・・と、玩具博物館の時が再び、動き始めました。

4号館常設展示室の柱時計と伏見人形「饅頭喰い」

薫風が流れ、時折、ツバメが飛び込んできたりする館内(びっくり!)には、さっそく、三々五々、家族連れのご来館があり、小さい子どもたちの笑い声も聞こえてきます。その明るい響きをしみじみとうれしい心持ちで聴いているところです。

さて、6号館西室の「端午の節句飾り」は7月5日(日)まで、東室の「桃の節句飾り」は6月21日(日)まで会期を延長してご覧いただくことになりました。

ずっと休館していたため、「端午の節句飾り」展は、本日が初めてのお披露目です。展示室で仕事をしていますと、来館者が大きな武者人形「神功皇后と武内宿禰」に目を留められたようで、「ええっ、これも端午の節句の飾り物?!」と、ささやくような独り言が聞こえてきました。――――今では甲冑飾り、あるいは兜飾りが端午の主流となっていますが、幕末から明治・大正時代、そして昭和初期までの京阪地方では、「義経と弁慶」や「太閤秀吉と加藤清正」をはじめ、歴史物語の主従を組み合わせた武者人形たちが節句飾りの主役でした。

中でも、明治・大正時代、御所のお膝元である京阪地方においては、「神功皇后と武内宿禰」や「応神天皇と武内宿禰」の組み物が人気を得ていました。住吉大神の神力を得た神功皇后は、夫、仲哀天皇の死後、御子を身籠っていながらも武者姿で大陸へ向けて出陣し、帰朝後、のちの応神天皇を出産したと伝えられます。 一方、武内宿禰は、仲哀天皇、神功皇后、さらに応神天皇にも仕えた忠臣として、人気が高い人物でした。応神天皇は、緋色のおくるみに包まれ、老臣宿禰に抱かれた幼子の姿で表現されています。

「神功皇后と武内宿禰」は、誕生した男児に将来の健康と出世を約束し、さらに長命を保証する最高の題材として選ばれたものと思われますが、明治時代の国体意識の高まりと、大陸への関心に満ちた時代の雰囲気が人気を支えていたのではないでしょうか。
1980年代に神戸市内の個人宅から寄贈をお受けしたもので、残念ながら、製作者がわかる商標などは失われています。人形の大きなつくりと動的な“キメ”のポーズなどからみて、大阪製ではないかと私たちは考えています。

今から6月21日までの約一ヶ月は、こうした優美な武者飾りに、春の名残りの御殿飾り雛を合わせて御覧いただきます。幕末から昭和初期頃までの美術工芸的にも非常に優れた品々に触れていただけるまたとない機会です。ご体調にお心くばりをなさりつつ、また、天候や時間帯など日々の状況に照らしつつ、ゆるりとご来館下さいませ。館長、スタッフ一同、初夏の季節感をいっぱいにしてお待ちいたしております。

(学芸員・尾崎織女)

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