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学芸室から 2016.07.10

七夕と梶の葉~ちりめん細工研究会~

新暦の七夕。お子さんのおられるご家庭では短冊に願いごとを書いて、笹飾りを立てられたでしょうか。日本玩具博物館では、「七夕の乞巧飾り」をテーマにちりめん細工研究会コースを3日連続で開催いたしました。中国から奈良時代頃の日本に伝わってきた当初より、七夕の儀礼は「乞巧奠(きっこうてん/でん)」と呼ばれ、織物や縫物の上達を願う行事でしたから、ちりめん細工の会にとっても七夕は重要な節句です。

月々のちりめん細工講座では、受講生の皆さんは10時からお昼を挟んで15時過ぎまで、たっぷり5時間かけてひとつの作品を仕上げていかれます。今回、研究会コースでとりあげる作品は、古の乞巧奠から切り取ってきたような、ゆかしい雰囲気の梶の葉飾りで、ちりめん細工の会会員で講師陣のお一人、南尚代さんの創作です。千葉県在住の南さんは東京都杉並区にある大宮八幡宮の「乞巧奠」(※)を見学されたり、茶事の七夕飾りなどをご覧になられたりして題材を研究され、ちりめん細工研究会のテーマにふさわしい作品をご提示して下さいました。(※ブログ「学芸室から」2013年7月8日の「七夕の乞巧奠」を参照下さい。)

課題作品(左)と参考作品(右)

今回の研究会講座では、3日とも南講師に作り方の指導をお願いしました。研究会の皆さんはそれぞれに慣れた手つきで、着々と作品を仕上げていかれます。そのお昼休みに割り込んで小一時間、“七夕と梶の葉”の歴史についてお話をお聴きいただき、作品の背景に想いを巡らしていただくという、詰め詰めなスケジュールだったのですが、果たして、参加の皆さんは、お昼ご飯もそっちのけで、文献の記述などにも熱心に向き合って下さり、七夕らしい研究会コースになりました。

七夕と梶の葉飾りの歴史についてお話を


応永29(1442)年の古文献『公事根源』には、奈良時代、天平勝宝7(755)年、孝謙天皇の御世に初めて清涼殿の東庭で乞巧奠が行われたとありますが、その様子は――――庭に長い筵を敷き、机をすえ、その上に香や花を供え、菓子、梨、桃、酒、大豆、茄子、鮑などを揃え、もう一方の机には五色の糸を通した金・銀7本の針を刺した梶の葉を1枚供え、願いが叶うように祈る――――というものでした。中世から続く“和歌の家”冷泉家が伝承しておられる乞巧奠にも梶の葉が登場します。星を映してみるための水を張った角盥に一枚の梶の葉、脇に置かれた衣桁には五色の布と色、その上に梶の葉が飾られるのです。

天文13(1544)年の『年中恒例記』には、室町時代の七夕、将軍は七夕の歌を七首詠まれ、里芋の露ですった墨で7枚の梶の葉に歌をしたため、それらを梶の皮などで結んで屋根に投げあげたとあります。紙の短冊が一般化する江戸時代後期に至るまで、七夕の歌を梶の葉にしたためて書や和歌の上達を願う様子は、町家の四季折々の暮らしを記した随筆や物語などにも散見されます。カジノキ(梶の木)の樹皮は製紙の繊維原料として使われていたことから、紙を連想する植物であったと思われます。またその樹皮はものを束ね括る糸の役割を果たし、その大きな葉は、カシワの葉などと並んで、神前に供え物をするときの器であったことを考えると、カジノキが七夕儀礼の供えものとしてふさわしい植物と意識された理由がわかるように思われます。

『宝永花洛細見図』(元禄17・1704年/金屋平右衛門編)――寺子屋で子どもたちが梶の葉に文字を書く様子が見える。(国立国会図書館デジタルコレクションより)
「五節句之内文月」(明治27/1894年・河 鍋暁翠画)三枚続きのうちの一枚――墨をすって短冊に文字を書く女性、短冊などがつるされた笹飾り。

江戸時代後期ともなれば、七夕の前には机や硯を洗って、清新な気持ちで墨をすり(里芋の葉や稲の露によって)、紙の短冊に詩や文字を書いて、笹竹につるす風習が庶民の暮らしの中にも浸透していきます。紙の普及もあって古式ゆかしい梶の葉は忘れられていきますが、歳時記や俳句の季語、茶道などの中にも初秋を表現するものとして大切に伝えられています。
今夏は、南講師のおかげで、ちりめん細工研究会の皆さんと一緒に梶の葉に注目することが出来、私どもにとっても意味深い七夕となりました。心より感謝申しあげます。

(学芸員・尾崎織女)

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