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学芸室から 2021.11.13

「虎の郷土玩具展」~長尾善三コレクション、三度目のお出ましです!

来年の干支「壬寅」を記念して、本日、1号館の冬の企画展「虎の郷土玩具」をオープンいたします。展示品のほとんどは、戦前に「日本一の虎玩具蒐集家」と呼ばれた故・長尾善三氏のコレクションです。今回は、1997年、さらに2013年にご遺族から寄贈を受けた合計1,300点に及ぶ品々の中から貴重な資料を選び、大正15年・丙寅歳の年賀状やおもちゃ絵などを合わせて、地域別、グループ別に展示しています。

江戸後期の手遊び絵本『江都二色』や明治・大正時代のおもちゃ絵本『うなゐの友』、大正15年・丙寅歳の年賀状(村松百兎庵氏収集)とともに虎の玩具を展示しています。

長尾善三氏のことやコレクション寄贈をお受けしたいきさつについては、2013年のブログ「学芸室から」でもお話ししています。→ブログ「学芸室から」<新収蔵品紹介>戦前の虎の玩具~長尾善三虎コレクション~

これまでに長尾コレクションをご紹介したのは、1998年・戊寅歳と2010年・庚寅歳の新春。また1998年8月には、虎とのご縁が深い阪神百貨店(梅田本店)の夏季展覧会に出展させていただいたこともありました。今回は企画展示室への三度目のお出ましで、一体一体、状態を確認しながら、準備を進めてまいりました。

展示に先立ち、収蔵庫に眠っていた虎たちを起こして曝涼、点検中。10月の爽やかな日に。

これまでの記事の繰り返しになりますが、長尾善三氏は、1902(明治35)年の寅歳生まれ。20歳の頃、大阪・道修町の薬種街にある少彦名神社「神農(しんのう)さん」の祭礼で小さな張子虎を求めたのをきっかけに蒐集を始められ、1974(昭和49)年に72歳でご逝去されるまで、虎玩具集めに熱中された筋金入りの蒐集家です。同時に、虎にまつわる文化への探究者で、郷土玩具研究会の『郷土玩具シリーズ第一期第八巻 虎』(1967・昭和42年刊)のなかでは、生きた虎の渡来記、虎玩(虎の郷土玩具)の発祥期、虎玩の起因、中国の虎玩、毘沙門天と虎(寅)、干支の玩具と虎、端午の節句の虎玩、郷土玩具の虎などの項目によって自説を存分に語っておられます。

長尾善三氏のご紹介――「狂虎洞」の表札や著作など

長尾善三氏は、虎の郷土玩具をぎっしり収めた部屋を自ら「狂虎洞」と称しておられたのですが、企画展示室の畳の間に、長尾コレクションを代表する作品を配して、狂虎洞をしのぶコーナーを作りました。京都山科毘沙門堂の虎面をつけた伏見焼の福助は昭和17年製。長尾コレクションルームのシンボルであり、また大阪張子・中村製の大虎(高さ80㎝、全長100㎝)は、長尾氏にとって記念すべき500番目の蒐集品でした。ご家族とともに狂虎洞でくつろいでおられる写真が遺されており、そこにはこの大虎と、大阪張子・面清製の首ふり虎を手にした長尾氏の楽しげな様子が収められています。その面清製の虎も大虎と一緒に展示しました。

囲炉裏のある畳の間に大虎たちを展示
生前の長尾善三氏、ご家族と虎の郷土玩具に囲まれて

長尾氏は、虎のいったいどこに惹かれて、こんなにもたくさんの虎玩具を追求、いや追究し続けてこられたでしょうか。中国『易経』によれば、「龍吟ずれば雲起こり、虎嘯けば風生ず」「雲は龍に従い、風は虎に従う」とか。風を従える虎たちの霊力にあふれる強い表情でしょうか。百獣の王にして、軽やかにあたりを睥睨し、邪気を追い払うまなざしでしょうか。いや、そのような猛獣にしてはあまりに愛嬌のある彼らの姿でしょうか。展示室をめぐりながら、その理由に思いをめぐらせてみるのも、虎たちとの楽しい対話につながることでしょう。

豊かな表情の虎たち――展示ケースごしに。

昭和時代の戦争とともに廃絶してしまった産地の虎たちも「諸国虎めぐり」コーナーに顔を連ねています。製作されてから齢、100歳近くにもなる彼らは、それぞれが前世紀初頭の空気を発散し、大切にされた思い出を展示ケース越しに語り掛けてくれることでしょう。ひと足、ふた足早く、新春を迎える準備が整った展示室をお訪ねいただき、お気に入りの虎をみつけてくだされば嬉しいです!!

(学芸員・尾崎織女)

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