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学芸室から 2023.03.08

弥生三月、雛の月

弥生三月、雛の月ですね。石井桃子さんの創作童話『三月ひなのつき』をお読みになられたことがあるでしょうか。戦争で大切な雛人形を失ったお母さんと自分のお雛さまをもっていない娘・よし子ちゃんとの雛人形をめぐる昭和30年代の物語です。私も子ども時代に読んで、このお話が思い出に残っていたのですが、大人になってから再読すると、大切なものを持つということについて、また母と娘の関係性について、より深く感じるものがあり、長く読み継がれてきたことの意味を知るのです。当館は、寄贈を受けて、よし子ちゃんのお母さんの思い出に深く刻まれた「寧楽びな」ととてもよく似た段飾り雛を所蔵しているため、その雛人形の傍で『三月ひなのつき』を物語を味わえる会がもてたらと願っていたところ、この3月4日、篠山ストーリーテリングの会の小山三智子さんのご協力を得て雛まつりのおはなし会が実現しました。ご参加の皆さんそれぞれにとって思い出深いひとときとなったことをとても嬉しく思っています。

私自身は、自分の雛人形をもっていないのですが、子ども時代も大人になってからも、きらびやかな段飾り雛を欲しいと思ったことはなく(とはいえ、30年余り、500組を超える雛人形のお世話をさせていただいていますが…笑)、「今月のおもちゃ・4月」でもご紹介したとおり、野原で手作りする菜の花雛やタンポポ雛が何よりかわいい自分のお雛さまでした。おはなし会の会場入り口に、椿の花とクマザサで作った雛人形を置いていたところ、物語の世界に心を傾けていた小学生の女の子が、会のあと、それを真似て自分も作ったと見せに来てくれました。それは、ユキワリイチゲの花に一枚のクマザサを着せたお雛さま。凛とした姿が素敵です。「持って帰る?」と訊ねると「ううん、ここに飾っておく方がいい。きっと皆が喜ぶ」と笑顔。なんと感受性豊かな少女でしょうか。

雛人形への思い出や、それを持つことに対する考えは人それぞれですが、それでも雛(ひゐな)は、時を超えて私たちの生活文化に特別な意味をもっているのですね。3月4日のおはなし会で、皆さんのご感想を聴きながら、あらためてそう感じことです。


「千姫~春まつり」にお招きを受けて

3月3日、4日、5日は、姫路城の北西、男山の中腹にある千姫八幡宮建立400年祭「千姫~春まつり」が開催されました。千姫(のちの天樹院)は、徳川二代将軍秀忠と浅井三姉妹の末の姫、江与の方との間に誕生した最初の姫君で、幼くして豊臣家の世嗣、秀頼に嫁し、大坂夏の陣で豊臣氏の大阪城が落城する最中、家康の命で救い出されて江戸城へ。桑名の本多忠刻のもとへ嫁いだのち、播磨へ移封された忠刻とともに姫路城に暮らした我らが播磨姫君です。天神を信仰していた千姫は、城の天門(北西)の鎮めに天満宮を建立し、羽子板を奉納したと伝わります。千姫時代のものとされる美しい左義長羽子板が2枚、天満宮に遺されています。
―――3月3日、桃の節句当日は、主催の千姫八幡宮総代会よりお招きを受け、「千姫と雛あそびの今昔」と題するお話に出向かせていただきました。

桃の節句に寄せるお話のなかでは、その千姫(1597~1666)の生きた時代に成立し、千姫と10歳違いの妹である和姫(=徳川和子、のちの東福門院 1607~1678)をキーパーソンとして、宮中から武家へと華やかに広がっていく雛文化について、文献の記述や絵図などをもとにたどっていきました。ご参加くださった方々の熱心なまなざしに援けられ、何とかお役目を果たせたでしょうか・・・?

さらに3月4日、5日は、いくつかの神事や講演会が行われ、会場は、古事はじめの会による「千姫かるた会」や城乾中学校茶道部のお茶席、また心づくしのマーケットなどでにぎわっていました。当館からは「貝合わせのワークショップ」を出前させていただいたのですが、皆さんとともに楽しみながら、姫路の昔むかしを想う一日となりました。また、総代会の皆様の姫路のまちの将来を見据えた企画力や地域の方々とのネットワークのつくり方など、学ばせていただくことばかり。よい機会をいただいたと喜んでおります。

当館春恒例の「貝合わせのワークショップ」は、3月25日に開催を予定しております。詳しくはこちらです。貝合わせはトランプの神経衰弱のような遊びと説明されますが、まったく意味も風情も異なります。この機会に日本らしい春の遊びを味わってみませんか。ご希望の方は、電話やメール等でご連絡くださいませ。

(学芸員・尾崎織女)



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