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blog日本玩具博物館の雛まつり2012
*寒風が吹きぬける庭に、蝋梅(ろうばい)が黄色い莟をほころばせ、新春一番、馥郁とした香りを漂わせています。学芸室では、蝋梅の花が満開になるのと競争で、6号館の春の特別展「雛まつり」を完成させました。500組以上にのぼる雛人形コレクションの中から、今春は、江戸時代から明治時代に、大都市部(江戸・京都・大阪)で飾られた衣装雛の数々が勢ぞろい!! 大正・昭和時代のお雛さまや地方で飾られた土雛、張子雛などにはお休みをいただいて、裕福な町家の人々が育てた雛飾りに焦点を当てたものとなっています。そのためか、会場にはいつもの年よりもクラシカルな雰囲気が漂い、日暮れが近づいた展示室で仕事をしていると、遠い昔にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚えたりもします。
*会期を待たず、展示完成と同時にオープンしている展示室で、今朝はご来館者から質問を受けました。
「お内裏様とお雛様の間に飾る“三方”、その上に置かれた徳利のようなものに立てられる花は何ですか?」と。
どのような様式の雛飾りにも、“三方”に錫製の“瓶子(酒器)”が付けられ、そこには熨斗紙が包まれた“桃の花”が立てられます。これは、桃の節句(供)のはるかなる歴史の源流にも関係が深い供えものなのです。
*日本は奈良朝時代に中国から上巳の節句(桃の節供)の風習を受け入れました。『荊楚歳時記』 (中国六朝時代3~6世紀の湖北・湖南省あたりの習俗や文化を記したもの)などによると、3月3日、上巳の頃になると、人々は草人形(くさひとがた)を作って水辺で禊ぎ(みそぎ)を行い、仙木である桃の枝や花を浸した酒を飲み、鼠麹草(母子草)を入れた羹(あつもの=餅状のものを入れたスープ)を食し、春の植物の薬効と霊力を身体に取り込むことによって、身の健康を保とうとしたといいます。桃の枝のもつ特別な力を頼むことは、3月3日の節句(供)の大事な儀礼でした。日本の貴族社会は、こうした中国の風習をそのまま取り入れたようです。
*江戸時代に入り、桃の節句が女性たちのものとして意識され始める頃から、「雛遊び」や「雛飾り」の要素が加わりますが、“ほころび始めた桃の花や桃の枝を浸した酒”は、草餅と並んで桃の節句に食すべきものとして、今日にまで伝えられました。“三方に桃の枝を差した瓶子”は、雛壇のど真ん中で、桃の節句の源流を知らせているのです。江戸時代、安永年間に制作された磯田湖龍斎の浮世絵の中、箪笥を利用した雛飾りにも、下段に桃の花を差した瓶子が置かれています。
*本年の雛まつりでは、明治時代の桃の節句に女児たちが雛料理を楽しんだ器の数々をご紹介しています。その昔、節句が近づくと、街の魚屋では全長7~8㎝の小さな鰈や鯛などが売られたそうです。小さな尾頭付きは、小さな雛の御膳の主役で、菜の花をみじん切りにした小さな菜の花ご飯や小さな蛤のお吸い物などとともに、小さな小さな器に盛られました。九谷や瀬戸で焼かれた陶磁器、おしゃれなギヤマンの瓶子には白酒や桃の花を浮かべた甘酒が注がれ、女児たちの健康が願われたのです。
*雛まつりといえば、静かで厳かな「雛飾り」を想い浮かべますが、かつては、雛人形が並ぶ空間で、友人たちと人形と共食し、歌ったり踊ったりしながら、賑やかに過ごすのが、桃の節句のお祝いの大事なところでした。小さな雛料理の器の愛らしさ、本物らしさは、節句のもつ動的な世界を垣間見せてくれます。どうぞ皆さま、玩具館の雛まつりへぜひお運び下さり、一足早い春をお楽しみいただきたいと思います。
(学芸員・尾崎織女)
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